イランの世界遺産「エスファハーンのジャーメ・モスク」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2)
登録年2012年

イラン中部の古都エスファハーンの中心部に残るジャーメ・モスクは「金曜モスク」と呼ばれ、841年建造とイラン最古の金曜礼拝用の大規模モスクです。ここは「チャハル(4)・イーワーン」と呼ばれる中庭を4方向から囲むという建築様式が見られる最初のモスクで、ネザム・アル・モルク・ドームにはイスラム王朝で二重殻ドームが採用され、これらは1200年にわたるイスラム美術の発展を示すもの。

ここではエスファハーンのジャーメ・モスクがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ジャーメ・モスクについて詳しくなること間違いなし!

目次

エスファハーンのジャーメ・モスクとは?

エスファハーンのジャーメ・モスク
画像素材:shutterstock

エスファハーンは、古くから政治や文化の中心地で、7世紀にはアラブ人の支配下に入ると、イスラム教が浸透していきました。8世紀には既に現在のジャーメ・モスクがある位置にモスクが建造され、近くにあるコフネ広場を中心にイスラム都市として発展していきます。現在のマスジェデ・ジャーメは841年に建築が始まり、金曜礼拝用の金曜モスクとしてはイランでも最古のもの。2万平方mの敷地に、イスラム以前のサーサーン朝の4つの中庭を持つという建築様式を採用した革新的なモスクでした。

ジャーメ・モスクには4つのイーワーン(天井がアーチ状のホール)と2つのドームを持つ、中央アジアの全体のイスラム建築の原型となり、最初にここを支配したイスラム王朝であるアッバース朝、その後はブワイフ朝、セルジューク朝、イル・ハン朝、ムザファル朝、ティムール朝、サファヴィー朝と続き、12世紀に渡るイランのイスラム王朝の歴史を示すものでもあります。

エスファハーンのジャーメ・モスク
画像素材:shutterstock

ジャーメ・モスクは、中庭を4方向からイーワーンで囲むという建築様式「チャハル(4)・イーワーン」を採用した最初のモスクです。そして、イスラム王朝でも最初期の二重殻ドームを採用した「ネザム・アル・モルク・ドーム」はイスラム建築の基本ともなりました。

現在のジャーメ・モスクは、セルジューク朝(1038〜1194年)時代に再建されたモスクをベースにしていて、それらを拡張し、新しい技術を導入していったもの。もともとは霊廟やドームなどが点在し、それぞれを一つの建造物へと取り込んで拡張していったと考えられていますが、その過程は諸説あり、はっきりとはしていません。現在もセルジューク朝時代に建造された礼拝堂などが残っています。

エスファハーンのジャーメ・モスクはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

エスファハーンのジャーメ・モスク
画像素材:shutterstock

ジャーメ・モスクが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ジャーメ・モスクは、サーサーン朝時代の宮殿建築で用いられた4つの中庭を持つ構造をイスラムの宗教建築に適応した最初のモスクであり、基本となったもの。さらにイスラム王朝では初めて採用された二重殻ドーム構造といった新しい工学技術が見られ、これは後に建造されていくモスクや霊廟の建築にも採用されていきました。これらの2つの要素は、モスクの設計、レイアウト、ドーム建設の基礎として、後のイスラム建築において採用されたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

エスファハーンは8世紀にはアラブ人の支配下にあり、ジャーメ・モスクはそれ以前の王朝で採用された中庭の構造を利用したイスラム建築で、チャハル・イーワーンや二重殻ドームなど、後のイスラム建築で設計された建築物のルーツ的な存在であるという点で評価されています。

ちなみにジャーメ・モスクの南側に位置するアーケードのようなバーザールをずっと南下していくと、エスファハーンのもう一つの世界遺産「イマーム広場」へと繋がっています。バーザールはイランでも有数のバーザールで、観光客用の伝統工芸品が並んではいますが、中にはスパイスなどの日用品もあったりと、見ているだけでも楽しいですよ。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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