登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
---|---|
登録基準(暫定リストに記載) | (1), (2), (3), (4), (6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2015年 |
ドイツ南部のバイエルン州には、中世の建築に情熱を注いだバイエルン国王のルートヴィヒ2世(1845〜1886年)が築いた城が点在し、その中でもノイシュヴァンシュタイン城は傑作として知られ、ロマンティック街道の終点としてあまりにも有名です。
ここではバイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヘン及びヘレンキームゼー~夢から現実へがなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群について詳しくなること間違なし!
バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヘン及びヘレンキームゼー~夢から現実へとは?
現在のドイツ南部にあるバイエルン州は、かつてはバイエルン王国(1806〜1918年)があり、広大な領土を誇った国家でした。しかし、第4代ルートヴィヒ2世は「狂王」として知られ、作曲家ワーグナーを宮廷に呼び招いたりと、政務を嫌うようになり、幼いころからの夢であった騎士道伝説を具体化したようなメルヘンな城や宮殿を建造するようになりました。
バイエルン州には、彼が建造した城が今でも多く残り、その中でもノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、シャッヘン城、ヘレンキームゼー宮殿は、ファンタジーの世界を現実にし、君主としての義務から開放された幻想の世界に浸るものでした。しかし、弟の死から精神が崩壊したとされ、1870年に謎の死を迎えると、城や宮殿の建造は中止されるようになったのです。
登録されている構成遺産
ノイシュヴァンシュタイン城
オーストリア国境にあるフュッセン郊外にある壮麗な城で、人気の観光地。「ノイシュヴァンシュタイン」は、ドイツ語でいうと「新白鳥石城」という意味で、近隣にあるシュヴァンシュタイン城(現在のホーエンシュヴァンガウ城があった場所)が「白鳥石城」であったため、この名が付けられました。
舞台演出家によってデザインされたために外観は煉瓦の上に石灰石をかぶせる一方、基礎部分はコンクリートを使用したりと近代的な技術が使用されました。よって、城としての機能はほぼないのが特徴。
リンダーホーフ城(宮殿)
リンダホーフ城は、バイエルン州でも南西にあるオーバーアマガウ村近くにある城。ここは1874年に建築が開始すると、1878年に完成したため、彼が築いた城でも多くの期間を過ごしました。
ここは城とは呼ばれるものの、フランスのヴェルサイユ宮殿のグラン・トリアノン(大トリアノン宮殿)をモチーフにしているため「宮殿」とされることも。ヴェルサイユ宮殿のバロック様式を入れ、ロココ様式をベースに設計されているものの、さまざまな様式を一つにした建造物でもあります。
シャッヘンの王の家
バイエルン州南部にあるガルミッシュ=パルテンキルヒェンからへ南約10kmの距離にあるシャッヘンという場所にあり、ここは山々に囲まれた王の別荘地でもありました。1869年から1872年にかけて狩猟小屋として建造されたものの、彼は狩りを好まず、内観はイスラム風に装飾された部屋など、誕生日や記念日に過ごす部屋として利用。
ヘレンキームゼー城
バイエルン州でも南東部に位置するキーム湖に浮かぶ島・ヘレン・インゼル(男島)に1878〜1886年に築かれた城。ここはフランスのヴェルサイユ宮殿をそのまま模倣したものであり、外観もヴェルサイユ宮殿に近く、有名な「鏡の間」を模した回廊もあります。とはいえ、ヴェルサイユ宮殿は17世紀建造のものなのでトイレはないのですが、ヘレンキームゼー城はトイレが設置されているなど、細かいところでアレンジされているのが特徴。
しかし、1886年にルートヴィヒ2世が死去すると建設は中止し、現在も70部屋のうち50部屋は未完成のまま。
バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヘン及びヘレンキームゼー~夢から現実へはどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
登録基準(ii)
登録基準(iii)
登録基準(iv)
登録基準(vi)
この地に残るノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、シャッヘンの王の家、ヘレンキームゼー城は、ルートヴィヒ2世の理想を描いた建造物であり、19世紀にこの地で発展したユニークな文化を示すものであるということ。一方、これらの建造物の建築様式は19世紀の時点で、既に過去の時代だったものをあえて再現した「芸術」であり、王の理想郷として建造したことで、中世から19世紀後半までのヨーロッパの建築技術が詰まった作品であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ルートヴィヒ2世は政治的関心は薄かったものの、建築物に対する情熱は凄まじく、これらの建造物は彼の理想を具現化したもので、あえて19世紀に中世や近世の建造物を再現したという芸術であり、そこにはヨーロッパ各時代の建築の様式が見られるという点で評価されています。
ちなみに、彼が築いた城は3つありますが、さらに山深いプフロンテンにあり、中世に築かれたファルケンシュタイン城趾を改築して城を築こうとしていました。1886年に彼が死亡したのでプロジェクトは進まなかったのですが、建設案を見ると、これもまたメルヘンな城となっていて、実現したら有名な観光地になっていたかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。