登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1980年(1990年拡大) |
イタリアの首都ローマは、共和制ローマ、ローマ帝国を経て、4世紀には教皇が住むキリスト教世界の中心都市となりました。そんなローマの歴史地区には、かつて地中海世界を支配したローマ帝国の遺構が多く残ります。
ここでは、ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ローマについて詳しくなること間違いなし!
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂とは?
イタリアの首都ローマには、ローマ帝国最盛期の遺構が多く残っています。紀元前3世紀に築かれたアウレレリアヌスの城壁に囲まれた地域が世界遺産として登録されていますが、1990年にそれより西側に広がるウルバヌス8世の城壁にまで範囲が広がりました。
ローマ発祥の地である7つの丘にあるコロッセウム、パンテオンなどの有名な建設物はもちろん、城壁外にあるサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂など、ヴァチカン市国として登録されている3つの聖堂も登録。
ローマの歴史は、伝説によると753年にテヴェレ川のほとりにロムルスとレムスという兄弟のうち、ロムルスが7つの丘の一つ、パラティーノの丘にローマを築いたことから始まります。
紀元前6世紀には共和制ローマになり、1世紀に帝政が始まると凱旋門、浴場、神殿、劇場、闘技場などが、ローマに次々と設立。4世紀になるとキリスト教に関する建築物が増えていき、ローマ時代の建築物を再利用していきました。そして、8世紀になるとキリスト教の中心都市として、ローマは教皇領の首都となります。15世紀になり、ルネサンスが始まると、教皇がスポンサーとなり、ラファエロやミケランジェロ、ベルニーニといったこの時代を代表する芸術家が活躍するように。
約2600年の歴史を誇るローマは、ヨーロッパの歴史の中で重要な役割を果たしていて、各時代の発展が分かる遺構が今でも大事にされているのです。
登録されている主な構成資産
フォロ・ロマーノ
「ローマ市民の広場」という意味で、広場は東西約300m、南北約100mの広さ。ここにはカエサルが設立したフォロ・ジュリアーノや神殿、凱旋門などがあり、政治的な演説が行われたり、集会、凱旋のパレードなどが行われた場でした。
コロッセウム
80年設立。ウェスパシアヌス帝が建設を始め、ティトゥス帝の時代に完成したもの。5万人から8万7000人まで収容でき、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式のアーチが並びます。ここでは剣闘士同士や、剣闘士と猛獣など、見世物が行われたことで有名。
パンテオン
1世紀に初代ローマ皇帝のアウグストゥスの側近であったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造。ローマのさまざまな神を祀る万神殿でした。しかし、火事で消失したため、118年から128年にハドリアヌス帝によって再建。現在見られるのはこの時代のもので、その後、キリスト教の聖堂となり、ルネサンスの芸術家ラファエロの墓もここにあります。
フォリ・インペリアーリ
「皇帝たちの広場」という意味で、フォロ・ロマーノの北側に位置する地区。フォロ・ロマーノが狭くなってきたため、カエサルが計画して建設を始めたもの。そして、多くの皇帝たちが神殿や記念碑を建造しました。
カラカラ浴場
216年にカラカラ帝によって築かれた大浴場。2000〜3000もの浴槽があり、ハイポコーストというセントラルヒーティングシステムが見られるもの。浴場とはいうものの、図書館などがある娯楽施設だったと考えられています。
コンスタンティヌスの凱旋門
315年にコンスタンティヌス帝が、ミルウィウス橋の戦いで勝利したことを記念して作られた凱旋門。高さ21mの凱旋門はローマの中でも最大のもの。近年では2世紀ころに建造された建築物をにコンスタンティヌス帝が改築したとも考えられています。
アウレリアヌス城壁
271〜275年にアウレリアヌス帝の時代に築かれた城壁。7つの丘やテヴェレ川の右岸など、ローマ中心部を囲むもの。ローマ教皇によって何度も補修が続けられ、現在でもその姿が見られます。
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
ローマの中心部の南側にある大聖堂。「城壁外の聖パウロ大聖堂」という意味で、ローマの五大バジリカの一つ。皇帝コンスタンティヌス1世によって、聖パウロの墓を祀るものとして建造。19世紀に火災で消失してしまい、現在の建物は1840年に再建されたもの。バチカン市国の国境を越えているものの、バチカン直轄の大聖堂でもあります。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
ローマの中心部にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、ローマの五大バシリカの一つとされるほどに歴史あふれるカトリック教会の聖堂。ここは聖母マリアが降誕したと信じられている地に築かれただけに、聖母マリアに捧げられた聖堂の中でも最大規模でもあります。ここは地震で崩壊しそうになる度に何度も改修され続けたため、ローマのバシリカ様式の聖堂では、最初期の構造が残されているという点で貴重。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
ローマの中心部にあるサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は、ローマの五大バシリカの一つとされるほどに歴史あふれるカトリック教会の聖堂。かつてはローマ教皇が暮らす宮殿があった場所で、キリスト教世界でも中心にあった場所。
16世紀になると、大聖堂と宮殿は切り離され、現在の宮殿は博物館として残されています。1929年の「ラテラノ条約」により、ここはバチカン市国外ではあるものの、バチカンによって占有されているというのが特徴。
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ローマは、古代から現在まで3000年にも及ぶ歴史を持つ芸術的な建築物であるということ。
登録基準(ii)
古代ローマからルネサンス、バロック、新古典主義まで、ローマ発祥の芸術は世界中の都市計画や建築物、芸術の発展に大きな影響を与えてきたということ。
登録基準(iii)
ローマの遺跡は保存状態がよく、現在も当時の芸術と建築技術の高さがよく見られるという点。
登録基準(iv)
ローマは中心部の都市開発は、3000年近くも途切れることなく続いており、古い町並みと現代建築が調和できるようになっているということ。
登録基準(vi)
キリスト教が伝来してから2000年以上の間、ローマはキリスト教世界の中心都市であり、ヨーロッパの文化の基盤であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
「ローマは一日にしてならず」とは言いますが、ローマはその都市としての歴史の深さに評価に繋がっています。ローマの特徴としては、遺跡が街の中にそのまま残り、教会に改装されたりしつつ、継続的に使用されていること。そして、ここで生まれた芸術は世界に広まっていったというのもポイントです。バチカンには今でもローマ教皇が住んでいるだけあって、そのお膝元であるローマはキリスト教に関連する建築物が多いのが特徴。
ちなみに、この世界遺産に登録されている建造物は2万5000近くに及ぶため、すべて紹介できることはほぼ不可能です…。とりあえず、代表的なものだけを紹介しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。