登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(3),(6) |
登録年 | 1979年 |
エジプト中部に位置するルクソール。ここは古代エジプトではアメン神を祀る都市テーベとして、中王国・新王国時代は首都として繁栄しました。カルナック神殿などの巨大な神殿や、ファラオたちが眠る王家の谷などが残り、エジプト文明が最も栄えていた時代の人々の生活や建築技術などが今でも見られます。
ここでは、古代都市テーベとその墓地遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、テーベについて詳しくなること間違いなし!
古代都市テーベとその墓地遺跡とは?
首都カイロからナイル川沿いに南へ約760km。現在はルクソールという名前の街ですが、ここはかつてエジプト中王国・新王国時代の首都として栄えたテーベがありました。
登録エリアはナイル川東岸とナイル川西岸と大きく分けることができます。ナイル側東岸は、現在のルクソール市の中心部になっていて、南にルクソール神殿、北にカルナック神殿という巨大な神殿が残存。ナイル川西岸は、「死者の都(ネクロポリス)」と呼ばれ、墓地遺跡になっています。ファラオの遺体は王家の谷という集団墓地で眠り、墓所とは別に葬祭殿を建造していたため、巨大な葬祭殿が今でも残存。
テーベは、古来から人が住んでいましたが、エジプトの都となったのは、中王国が始まった紀元前21世紀ころ。中王国時代(紀元前21〜17世紀ころ)には、テーベの地方神であったアメンが崇拝されるようになり、カルナック神殿の建造が始まります。しかし、アジア系のヒクソスが侵入するとエジプトは一時衰退。その後、イアフメス1世がテーベで第18王朝を築くとテーベは再び首都となりました。
現在のテーベの遺跡は、新王国(紀元前1570〜1070年頃)のものがほとんど。これ以降、アメン神はエジプト全土に広がっていきます。
エジプトは再び安定し、テーベはこの時代に一番繁栄しました。ファラオは遠征で周辺国を征服し、領土も拡大。第18王朝のトトメス1世が王家の谷を建造すると、彼の娘であるハトシェプスト女王は今でも見られる壮麗な葬祭殿を造営しました。
そして、カルナック神殿では、アメン神がそれまで崇拝されていたラー神と合体して、アメン・ラー神として、神殿が作られるようになります。アメンホテプ3世はルクソール神殿を建造し、この時期にカルナック神殿からスフィンクスの像が並んだ参道が作られたと考えられています。カルナック神殿は、増改築が続き、ギリシャの詩人ホメロスによると「100の塔門を持つ都市」と称されるほどに繁栄しました。
しかし、第20王朝になると街は徐々に衰退。この時期から王家の谷などで略奪が行われるようになり、第3中間期になると政治的影響力はほぼなくなりました。ローマ時代になると、テーベは小さな地方都市に。
登録されている主な構成資産
カルナック神殿
ルクソール市街から北へ約3kmにある、古代エジプトでも最大規模の神殿。エジプト中王国時代から建造が始まり、アメン・ラー神、コンス神、ムト神、モンチ神の神殿や聖域など、さなざまな建造物の集合体でもあります。最大の神殿はアメン神殿。ここは当時信仰されていた最高神アメン・ラーの捧げられた神殿で、2000年近くも増改築が行われています。
最大の見所は、面積5000平方mを越える大列柱室で、高さ12〜21mの巨大な柱が134本もり、これは紀元前14世紀に第18王朝のアメンホテプ3世が着工し、紀元前13世紀に第19王朝のラムセス2世の時代に完成したもの。
ルクソール神殿
カルナック神殿の副神殿として、アメンホテプ3世に建造されたもの。ラムセス2世の時代に高さ25mのオベリスクや巨大な坐像が加えられました。カルナック神殿とは参道で結ばれていて、道の両側にはスフィンクスの像が無数に並んでいました。かつては塔門の入口にあったオベリスクは対になっていたものの、19世紀にフランスのパリへ運ばれ、現在はコンコルド広場に置かれています。
王家の谷
ナイル川西岸の岩山に築かれた岩窟墓群。新王国時代のファラオの墓が多く集まり、24の王墓を含めた64の墓が点在。第18王朝のトトメス1世から第20王朝のラムセス11世まで、多くのファラオが眠っていた墓地でした。1922年に発見されたツタンカーメンの墓以外はすべて盗掘されていて、中には保存状態が悪いものも。
王妃の谷
王家の谷の南西に位置していて、おもにファラオの妻を中心に埋葬されています。第18〜20王朝の女王だけでなく、王子や王妃なども埋葬。ラムセス2世のネフェルタリの墓は、装飾が美しく、王妃の谷を代表するものになっています。
ハトシェプスト女王葬祭殿
王家の谷の東にある広大な葬祭殿。古代エジプト唯一人の女性ファラオであった、第18王朝のハトシェプストが建造したもので、アヌビス神殿には、当時の色彩が残っているレリーフもあることでも有名。しかし、次代のトトメス3世によって壁画や碑文などが削られています。
ラメセウム(ラムセス2世葬祭殿)
王家の谷がある岩山の手前にある葬祭殿。花崗岩で作られた巨大な像が並んでいます。現在では、塔門や列柱室が一部残るのみ。かつては広大な葬祭殿だったと考えられますが、ラムセス2世の功績である「カディシュの戦い」のレリーフなどが残っています。
ラムセス3世葬祭殿
王家の谷の南にあるメディネト・ハブというエリアに建造された葬祭殿。ラムセウムをイメージしたものとされ、似ている部分も一部あります。内部には「海の民」や「リビア人」と戦う姿が描かれたラムセス3世のレリーフもあり、当時の彼の権力が今でも見られます。
貴族の墓
王家の谷と王妃の谷の間に広がるエリアで、神官や高官などの墳墓が点在。415もの墓があるとされ、高官だったナクトの墓には、女楽師が描かれていたりと、当時の人々の暮らしが垣間見られます。
メムノンの巨像(アメンホテプ3世の葬祭殿)
かつては第18王朝のアメンホテプ3世の葬祭殿の入口にあった2体の像。高さ18mの像はアメンホテプ3世を型どったものではあるものの、紀元前1世紀にヒビが入り、夜明けに温度差によって音が発するようになると、それがギリシャ神話に登場するメムノンをイメージすることから、この名が付けられました。
古代都市テーベとその墓地遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
テーベが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
テーベに残る神殿や葬祭殿、墓地に関する遺跡は、人類の創造的資質を示すものであるという点。
登録基準(iii)
テーベの古代都市の名残は、エジプト中王国・新王国の文明の存在を示すということ。
登録基準(vi)
神殿にはアメン・ラー神の信仰があり、墓地遺跡には古代エジプトの人々の死後の世界に対する思想などが見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
テーベに残る神殿や墓地遺跡は、エジプト中王国・新王国の繁栄した姿を現在に残しています。アメン・ラー神はかつてテーベの人々が信仰したものであり、墓地遺跡の壁画には当時暮らしていた人々の死後の思想が見られるという点が評価のポイント。
ちなみに、ルクソール神殿からカルナック神殿を結んでいた3kmのスフィンクス街道は、ルクソールの街の下に埋められていました。しかし、20世紀になると発掘しつつ、少しつずつ復元されていき、2021年にはいよいよ復元が完了したもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。