登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1997年 |
モロッコ北部に位置するヴォルビリスはローマ帝国時代に発展した都市で、モロッコ最大のローマ遺跡。ここは肥沃な農業地帯にあるため古来から繁栄し、カラカラ帝の凱旋門など、壮麗なローマ建築が今でも残っています。その後、イスラム王朝の首都となった時期もありますが、18世紀のリスボン大地震で被害を受け、19世紀から発掘と修復が行われてきました。
ここではヴォルビリスの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴォルビリスの考古遺跡について詳しくなること間違いなし!
ヴォルビリスの考古遺跡とは?
ヴォルビリスは、モロッコの首都ラバトと古都であるフェズの間に位置する考古遺跡。「ヴォルビリス」はベルベル語の「キョウチクトウ」にちなんだ名前とされます。ここは肥沃な土地で、古くから集落があったものの、ローマ帝国がこの地を支配し、ローマ属州マウレタニア・ティンギタナとなると、小麦やオリーブなどが生産される農業都市へと変貌しました。
敷地面積は40万平方mと広大な都市は3世紀まで繁栄が続き、ローマの高官が当時の皇帝であったカラカラ帝を称えて建造した「カラカラ帝の凱旋門」などが代表的な建築物も残ります。ここは城壁に囲まれ、公共浴場などが建造されたものの、3世紀末になり、ローマ帝国が撤退すると、イスラム化されたベルベル人がこの地に侵攻。
8世紀にはイドリース朝(788〜985年)の首都となりましたが、9世紀に近隣のフェスに首都が移転すると衰退。18世紀のリスボン大地震で多大な被害を受け、廃墟となり、建築物は近隣の都市・メクネスの建築素材として使用されます。19世紀後半から遺跡の発掘と修復が行われ、遺跡として保護されるようになりました。
ヴォルビリスの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヴォルビリスの考古遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ヴォルビリスの考古遺跡は、古代からイスラム時代まで、地中海、リビア、ポエニ(現在のチュニス周辺)、ローマ、イスラム、キリスト教など、さまざまな文化が交流し、建築や装飾、景観の発展に影響を与えたという点。
登録基準(iii)
ヴォルビリスの考古遺跡は、原住民であるベルベル人、ローマ、キリスト教、イスラムなどさまざまな文化が繁栄した足跡が残り、現在はほぼ消滅してしまったものの、文化的景観の優れた例であるということ。
登録基準(iv)
ヴォルビリスの考古遺跡は、古代からイスラムまでさまざまな伝統や文化、移民たちの暮らしが見られる都市であるという点。
登録基準(vi)
ヴォルビリスの考古遺跡は、イドリース朝の首都となった場所でもあり、近隣には創設者であるイドリース1世の墓所「ムーレイ・イドリース・ゼルハウン」があり、巡礼地ともなっていることから、歴史や思想、芸術作品などに関連しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ヴォルビリスは、ローマ時代に繁栄した都市で、本拠地であったローマ帝国をはじめ、周辺国との交流が見られ、ローマが撤退した後もキリスト教やイスラムなどの足跡も残り、多様な文化が合わさっているという点で評価されています。そして、モロッコの初期イスラム王朝であるイドリース朝の首都となったということもあり、近くには創始者の墓があり、ここはモロッコの歴史や思想、芸術において関連しているというのもポイント。
ちなみに、この地域には月桂樹が多かったことからワリーリ(月桂樹)とも呼ばれていました。月桂樹は地中海沿岸が原産地と言われていて、かつては自生していたというのも納得ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。