京都を代表する観光地である金閣寺と銀閣寺。それぞれが美しい寺院であることは有名ではありますが、その違いはどこにあるのか?…銀閣寺は「銀」は見られないし、意外と説明できませんよね。
今回は金閣寺と銀閣寺の違いを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その違いについて具体的に理解できること間違いなし!
1、建造した人物と時代が違う
まず、建造した順番としては金閣寺のほうが先。1397年に室町幕府の3代将軍・足利義満(1358〜1408年)がこの地を山荘として建造。彼の時代は勘合貿易で大いに栄え、室町時代の最盛期でもありました。
一方、銀閣寺は1482年から室町幕府の8代将軍・足利義政(1449〜1474年)は庶民から税を集め、東山に山荘を築きました。彼の時代は幕府の権威が低下していて、有力守護大名が対立を深め、やがて応仁の乱(1467〜1477年)を引き起こしてしまい、戦国時代のきっかけを作ることに。
それもあり、室町幕府の最盛期に建造された金閣寺と、室町幕府の衰退期に建造された銀閣寺と、似たような時代ではあるものの、全く背景が違うというのが面白いですね。
2、楼閣の構造や塗装が違う
金閣寺の中心でもある舎利殿(金閣)は3階建ての楼閣建築となっていて、高さは12.5m。二層と三層は純金の箔が貼ってあることはあまりにも有名。これらは1987年に厚みのある約20万枚の金箔を貼られたもの。各階はそれぞれ建築様式が異なっていて、一層は寝殿造り、二層は武家造り、三層は中国風の禅宗仏殿造り。
観音殿(銀閣)は義政によって鹿苑寺の舎利殿(金閣)などをモデルにして建造された、木造2階建ての楼閣建築として有名です。しかし、金閣は金箔が貼られた建造物であるにもかかわらず、銀閣には一度も銀箔が貼られたという形跡も記録も残っていません。これについては今でも不明ではあるものの、「銀閣寺」と呼ばれるのは江戸時代以降であることから、もともと銀箔を貼る予定ではなかったという説もあります。
3、庭園が違う
まず、金閣寺の庭園は金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこち)を中心とした「池泉回遊式庭園」となっています。ここは全国でも珍しい「特別史跡及び特別名勝庭園」に登録されていて、池に映る金閣は「逆さ金閣」として有名。
一方、銀閣寺の庭園は夢窓疎石(1275〜1351年)による西芳寺の庭園を模して作られたとされているものの、江戸時代には改修されているため、当時の構造はあまり残っていません。ここも池泉回遊式庭園で、白い砂を段形に盛り上げた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」、東山に登る月を待つために砂を円錐状に盛ったとされる「向月台(こうげつだい)」などが見られます。しかし、これらは江戸時代以降のものであるという説も。
4、場所が違う
金閣寺は、北山と呼ばれる京都の市街でも北部に位置するエリアに築かれたもの。1399年に金閣(舎利殿)が完成すると、公家文化と武家文化の合わさった「北山文化」の中心地となりました。
そして、銀閣寺は東山という京都の市街でも東部に位置するエリアに築かれたもの。もともとは浄土宗の浄土寺という寺があったものの、応仁の乱で焼失したためにここは空き地となりました。幕府の権力が衰退した一方、ここは「東山文化」の中心として、現在の日本文化が確立された時代でもありました。
番外編、別荘として利用された後、寺院となったのは同じ
同じ足利将軍が建造したという点以外では、あまり共通点のない2つの寺院ですが、実は別荘として建造された後、将軍の死後は寺院となったという点では一緒だったりします。
金閣寺は、金箔が貼られた舎利殿があることから金閣寺と呼ばれますが、これは通称であり、正しくは「鹿苑寺(ろくおんじ)」です。山号は北山(ほくざん)であることから、正式名称は「北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)」。銀閣寺の正式名称は「東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)」。義政の死後は、彼の院号である「慈照院殿」から「慈照寺」と呼ばれていました。
世界遺産マニアの結論と感想
金閣寺と銀閣寺は、まるで対のような存在かと思いきや、実際は違いが多くあります。むしろ、江戸時代に金閣寺と対になるように、慈照寺が「銀閣寺」と呼ばれるようになったことから、なんとなく「金銀」という2つでセットのイメージが付いただけ。もともとはそれぞれが独立した建造物であったということについて、日本人が長い年月を経て忘れてしまったというのが悲しいところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。