中国の首都である北京は古くから遊牧民が支配する地でしたが、明の時代になると首都となりました。ここには皇帝が住む宮殿から祭祀施設、庭園……さまざまな建造物が作られるようになり、中国の歴史を感じさせる世界遺産でいっぱい。そして、郊外に広がる万里の長城は北京からもアクセス抜群!
ここでは、北京の世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
八達嶺長城/万里の長城
北京の北西約70kmに残る長城で、「万里の長城」と呼ばれる風景は大体ここの写真を使用されるほどに有名。現在の遺構は明の時代に建造され、アクセスの良さから観光客が多く集まります。
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慕田峪長城/万里の長城
北京から北へ約90kmの位置にある「慕田峪長城」は6世紀の北斉時代に起源があリますが、現在見られるのは明の時代に長城跡の上に新たに再建したもの。こちらも保存状態は良好で、明の時代の長城の様子が今でも見られます。
紫禁城(現・故宮博物院)/北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
北京の中心部に位置する紫禁城は、72平方kmの面積を誇る世界最大の木造建築物。この場所にはもともと元(1271〜1368年)の時代に宮殿があり、1406年に明の永楽帝が元の宮殿を改築し、1421年に現在の南京から都を移すとここを皇宮として使用。その後は、明代から次代の王朝である清朝が滅亡するまでここが皇宮となりました。
現在は「故宮博物院」として博物館となっています。「故宮」とは、古い宮殿という意味で、これは後年にこのように呼ばれたもの。もともとは紫禁城と呼ばれていました。
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天壇
首都・北京の中心部にある天壇は、15世紀に築かれた皇帝の祭祀施設。天壇は皇帝が自ら祈り、天に報告する場所でもありました。
天壇は、南から圜丘壇、皇穹宇(こうきゅうう)、祈年殿の3つで構成され、空に向かって続いていました。三層の屋根を持つ円形の記念殿は、東アジアの建築に影響を与えたもの。
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北京の中心軸:中国首都の理想的秩序を示す建築物群
北京の旧市街は元(1271〜1368年)の時代に築かれ、明(1368〜1644年)と清(1636〜1912年)の時代に発展し、800年に渡って開発が行われてきました。
北京における「中心軸」というのは、旧市街でも南方に位置する永定門から北へ、正陽門、天安門広場、紫禁城、景山を通る、約7.8kmの範囲を示します。この軸は、北京の旧市街の中心地であり、宮殿や祭壇、祭壇、市場、街路、鐘楼、鼓楼、さらには1949年に建設された天安門広場などが集まるエリア。
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頤和園
北京の北西に位置する頤和園は、1750年に建造されたものの、1860年の戦争時に破壊され、1886年に西太后が復元させた広大な庭園。西太后はここに政務室を作り、豪華絢爛な庭園となったものの、清朝が滅んで中華民国になると、ここは公園として開放されました。
敷地内には、杭州の西湖を模した人造湖が広がり、宮殿や寺院、橋など、中国の美しい景観をすべて集めたという庭園の最高傑作でもあります。
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明の十三陵/明・清王朝の皇帝墓群
北京市の西側にある昌平区には、明代の皇帝や皇后、皇太子などの陸墓が13も集まっています。特に北京へと遷都した3代の永楽帝をはじめ、最後の皇帝の崇禎帝まで13人の皇帝の陵墓が現存。第14代の万暦帝の墓は発掘され、現在では公開されています。
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通恵河/京杭大運河
京杭大運河は、中国では「大運河」と呼ばれるもので、中国の東北部にある北京から淮水、黄河、長江を通って、浙江省の杭州まで結ぶ約2500kmの運河。北京では、南東の天津市へとつながる通恵河が世界遺産の構成資産として登録されています。
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世界遺産マニアの結論と感想
中国の首都だけに、北京市としてはなんと8つものスポットが世界遺産に登録されています。特に明や清の時代のものが多く、中国の皇帝による豪華絢爛な建築物は保存状態もよく、過去の世界へとタイムスリップしたかのように迫力抜群!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。