登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2024年 |
「ダキア」というのは、現在のルーマニアを中心としたエリアを指していて、2世紀にローマ帝国がこの地域を支配するとダキア属州が設立。ここは帝国でも辺境の地であったために、多くのリーメス(境界線)が建造され、現在では国内に7つのリーメスが発見されています。
ここではローマ帝国の辺境-ダキアがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ローマ帝国の辺境について詳しくなること間違いなし!
ローマ帝国の辺境-ダキアとは?
ダキアというのは、現在のルーマニアの領土のことを指し、古くはダキア人とゲダエ人という部族が暮らしていたエリア。ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスがダキア戦争(101〜2・105〜106年)によって勝利すると、この地にはダキア属州が建設。ここはローマ帝国の辺境の地となり、外敵から金や塩の交易を守るため、要塞を含めたリーメスを建造する必要がありました。
ルーマニア全土で100の砦、50の要塞、150以上の塔があったとされますが、形として残存しているのは5箇所程度。構成資産としては277箇所となっているものの、ほとんどのリーメスは保存状態が悪く、その素材は教会や城、家などに使用されてしまい、農地にあるものなどは危険に晒されています。リーメスは国内で7箇所あったとされ、山岳地帯や川の近くなどに築かれました。ルーマニア北西部のポロリススムの都市遺跡は、再建された箇所もありますが、当時の様子を現在に残しています。
ローマ帝国の辺境-ダキアはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ローマ帝国の辺境が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ダキア属州のローマ帝国の遺跡は、ハドリアヌスの長城やアントニウスの城壁とともに、ヨーロッパに残るローマの国境線でもあり、ここには要塞、塔、城壁など、民間の居住地にあるインフラであり、最盛期の軍事建築の発展や文化・価値観の交流を示すもの。ここには帝国から派遣された軍隊だけでなく、民間人や商人なども訪れ、異民族も通ったことから、この地域に大きな変化をもたらしたという点。
登録基準(iii)
ローマの防衛システムでもあったリーメスがダキアにあるということは、ローマ帝国の支配によってその権力が北方まで拡大したことを示し、帝国の野心を証明するもの。そのため、首都ローマから軍事や工学、建築、経済、政治、その伝統までこの地方に拡散され、国家を防衛するために帝国の兵士とその家族を含めて多くの人間が暮らした証拠であるということ。
登録基準(iv)
ダキア属州のリーメスは、当時の技術者たちによって数世代に渡って完成された、ローマの軍事建築とその発展を示す例であり、帝国北部の政治や軍事、社会におけるローマ人の多様性が見られ、後にこの地域に影響を与えたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ルーマニア各地に残るダキア属州時代のリーメスは、ローマ帝国の北方の支配を示し、兵士の家族が住んだことから、ローマの文化が伝来したことによって、この地域が発展していったという形跡が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ヨーロッパのローマ帝国の国境線は、西はイギリス・ドイツの「ローマ帝国の国境線」、ドイツ・オランダの「ローマ帝国の国境線 – 低地ゲルマニアのリーメス」、ドイツ・オーストリア・スロバキアの「ローマ帝国の国境線 – ドナウ川のリーメス(西側部分)」など、いよいよ中央ヨーロッパまで繋がっていて、もはやシリーズ化している遺産でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。