インドは世界四大文明の一つ、インダス文明の領域も含んでいて、古くから人の往来が多かった土地で、古代遺跡の数も豊富!そして、なんといってもインドは仏教発祥の地でもあり、釈迦ゆかりの史跡も世界遺産として登録されています。
仏教やヒンドゥー教、イスラム教など、各地にそれぞれ遺跡が多く点在していますが、世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
ビームベートカーの岩陰遺跡
「ビームベートカー」という名称は、インドの二大叙事詩『マハーバーラタ』に登場する英雄神ビーマに由来するもの。遺跡はインド中部のマディヤ・プラデーシュ州の森の中に位置し、砂岩には合計で400もの岩陰の壁画が残っていて、最も古いものは約3万年前に遡ります。
ここは中石器時代から有史にいたるまで多彩な壁画が多く残り、古い絵の上に新しい絵が重ねて描かれているのが特徴。
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ドーラビーラ : ハラッパー文化の都市
ドーラビーラは、パキスタンとの国境沿いにあるグジャラート州カッチ湿原にある遺跡。湿原にはカディール島という大きな島があり、島の西部の広大な敷地にはインダス文明の都市が存在していました。
島には紀元前3000〜1500年にかけて人が住んだ形跡のあるドーラビーラ遺跡があり、貯水池などの水利施設があったことから、高度な文明を持つ都市だったとされています。
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サーンチーの仏教建築物群
サーンチーは、インド中部マディヤ・プラデーシュ州のボーパールから北東へ約40km離れた仏教遺跡。ここは3つのストゥーパと祠堂、僧院などが点在しています。
特にストゥーパの第一塔はマウリヤ朝のアショーカ王が紀元前3世紀に築いたもの。ここは12世紀まで仏教の聖地として栄えた地でもありました。
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アジャンター石窟群
アジャンター石窟群は、マハーラーシュトラ州に属し、中心都市であるムンバイから北東へ約360kmの位置にある断崖に築かれたもの。ワゴーラー川沿いの550mの距離に30もの石窟が並んでいます。
その歴史は紀元前2世紀にも遡り、インドの統一王朝であったグプタ朝時代(320〜550年)に豪華な仏像や彫刻が掘られました。ここは世界に誇る仏教芸術の傑作でもあります。
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エローラ石窟群
マハーラーシュトラ州の大都市アウランガーバードから30Kmほどの距離にあるエローラには、世界に誇る石窟寺院が残っています。34もの石窟は、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教に関する建築物が並ぶというもの。
時代ごとに仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、それぞれの聖域となり、これらは古代インドの「寛容」の精神を示す遺跡でもあります。
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ブッダガヤの大菩提寺
ブッダガヤは、ビハール州パトナから約100kmの距離に位置し、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた地とされています。ここは仏教の4大聖地の1つで最も重要な聖地。この地にある大菩提寺(だいぼだいじ)はマハーボディ寺院とも呼ばれます。
最初の寺院は紀元前3世紀にマウリヤ朝のアショーカ王によって建てられ、現在の寺院は5〜6世紀に再建されたものがベースとなっています。
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マハーバリプラムの建造物群
インド南東部にあるタミル・ナードゥ州のベンガル湾沿いに位置する、かつての港湾都市。ここはタミル系王朝パッラヴァ朝(275〜897年)の都だった場所で、6世紀以降は貿易港と栄えました。
マハーバリプラムは7〜8世紀に築かれたヒンドゥー教の聖域で、敷地内にはラタと呼ばれる石彫寺院と「ガンガーの降下」と呼ばれる、世界最大規模の岩壁彫刻などが点在しています。
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パッタダカルの建造物群
南インドのカルナータカ州北部にある小さな村・パッタダカル。ここは前期チャールキヤ朝(543〜753年)時代、首都ではなかったものの、「戴冠の都」として当時の王族に愛され、寺院が多く建造された都市になりました。
この地にはヒンドゥー教とジャイナ寺院が建造され、屋根が砲弾型の北インド型、ピラミッド側の南インド型の建築様式がそれぞれ並びます。特に8世紀にパッラヴァ朝との戦争の勝利を記念して建造された「ヴィルーパークシャ寺院」は南インドの寺院建築の傑作。
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エレファンタ石窟群
ムンバイ近海のアラビア海に浮かぶエレファンタ島(現ガラプリ島)は、小さい島ながらも紀元前2世紀に遡る遺跡があるほどに歴史深い聖地。
島には6〜8世紀に建造されたヒンドゥー教寺院が残っていて、ここはシヴァ神信仰の中心地でもありました。特に巨大な「三面のシヴァ神の胸像」は、ヒンドゥー教芸術の傑作の一つ。
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ビハール州ナーランダーのナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡(ナーランダー僧院)
インド北東部に位置するビハール州の南部にあるナーランダー。ここにはかつてインド最古の大学として知られるナーランダー僧院があった場所。「マハーヴィハーラ」とは「偉大な精舎(大僧院)」の意味で、かつては全寮制の大学でした。
紀元前3世紀から紀元13世紀まで仏教にまつわる教育が行われた、インド亜大陸の最古の大学でもありました。
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カジュラーホの建造物群
カジュラーホは首都デリーから南東へ約630kmの距離にあるマディヤ・プラデーシュ州の都市。ここは10〜11世紀のチャンデーラ朝時代に多くの寺院が築かれました。
現在は25もの寺院が残り、それらはヒンドゥー教やジャイナ教の寺院。特にカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院の彫刻は中世インド美術においても最高傑作の一つ。
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グジャラート州パータンのラーニー・キ・ヴァーヴ(王妃の階段井戸)
インド西部、パキスタンとの国境に接するグジャラート州にあるパータン。サラスワティ川の近くにある井戸は、インド独特の建築物である階段井戸の中でも傑作として知られます。これは11世紀にグジャラートを支配したチャウルキヤ朝のビーマデーヴァ1世が亡くなった後、王妃が亡き王のために建造したもの。
古来よりインドでは階段井戸が造られてきましたが、ここの井戸は500体以上の大きなレリーフが刻まれた寺院のような機能を持つ、階段井戸の中でも傑作として評価されています。
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ハンピの建造物群
ハンピとは、インド南部カルナータカ州にある小さな村に残る遺跡。ここは14世紀〜17世紀半に栄えたヴィジャヤナガル王国の王都だった場所。
15世紀に現在の姿になったヴィルパークシャ寺院や16世紀建造のヴィッタラ寺院など、美しい建造物が現在でも多く残っていて、かつて「ヴィジャヤナガル(勝利の都)」と言われるほどに栄えた姿を今に残します。
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デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群
デリーの南側には、インド初のイスラム王朝である奴隷王朝(インド・マムルーク朝、1206〜1290年)時代に建造された複合施設があり、これらは奴隷王朝の開祖アイバクがデリーを征服した記念に建造。
高さ72.5mの赤い砂岩で建造された塔、クトゥブ・ミナールをはじめ、周囲のモスクや門を含めて、これらはインド初期のイスラム建築として貴重なもの。
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チャーンパーネール・パーヴァーガド遺跡公園
インド西部のグジャラート州。ここに位置するチャーンパーネール・パーヴァーガド遺跡公園は、平原の中にある標高800mのパーヴァーガドの丘にあり、先史時代から中世にいたるまで集落が存在していました。
ここには先史時代から初期ヒンドゥー教時代に築かれた要塞、16世紀に作られたグジャラート州の遺跡など、さままざまな時代の遺構が残ります。丘の上に残るカーリーカマタ寺院は今でもヒンドゥー教の聖地として、多くの巡礼者が集まります。
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ホイサラ朝の宗教建造物群
ホイサラ朝は11世紀から14世紀後半に、現在のインド南西部に位置するカルナーカ州のマイソール地方を中心に存在したヒンドゥー王朝。ホイサラの王たちはヒンドゥー教のシヴァ派とヴィシュヌ派の両派を支持し、ジャイナ教徒にも寛容であり、それぞれの宗教建築物が多く建造されました。
ここは文化が興隆し、北インドと南インドの建築様式が融合。現在は廃墟となりましたが、遺構からは当時の文化や科学技術の高さが分かるという点で評価されています。
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世界遺産マニアの結論と感想
インドは仏教発祥の地であり、釈迦が悟りを開いた地だけでなく、『西遊記』のモデルとなった玄奘三蔵ゆかりのナーランダー僧院跡まで、馴染みの深い遺跡がたくさん。もちろん、インダス文明の遺跡やヒンドゥー教の寺院遺跡といった壮大な歴史を感じる遺跡もあるので、ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。