メキシコといえば、アメリカ大陸でも古くから文明が栄えた地で、テオティワカンのピラミッドやチチェン・イッツァなど、一度は行きたい有名な遺跡も多く点在します。
世界遺産として登録されているメキシコの遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
シエラ・デ・サン・フランシスコの岩絵群
メキシコ西部のバハ・カリフォルニア・スル州にあるシエラ・デ・サン・フランシスコの中でも岩絵が集中しているエリアで、ここは半島にある乾燥地帯のため、比較的隔離された状態で長らく保たれました。
ここには紀元前1100年から紀元1300年まで描かれた人間や動物などを含めた400以上もの岩絵が残っています。これらは先住民のコチミ族とグアチミ族が描いたもので、岩絵からは当時の狩猟の文化が見られ、太古のメキシコの芸術を今に伝えるもの。
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カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林
カンペチェ州はメキシコ東部のユカタン半島の西側部分一帯を含む行政区域。半島の中央部に広がる広大なジャングルは、メソアメリカでも2番目の敷地を誇る熱帯雨林です。
その中に佇むカラクルムの遺跡は、今はジャングルに囲まれていて、人がほとんど住んでいませんが、ここは紀元前1000年から紀元1000年ころまで栄えたマヤ文明の中心都市の一つでした。特に高さ約55mの建造物IIは、マヤ文明の中でも最大級のピラミッド。
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オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡
オアハカはメキシコ南部のオアハカ州の州都で、南シエラマドレ山脈の中にある標高1550mの高原都市。郊外にあるモンテ・アルバンの遺跡は、オアハカ市内から西へ約10kmの位置にある、小高い丘の上に築かれた都市遺跡です。ここは紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄したサポテカ文明の都市でした。
ここは原住民であったサポテカ人によって築かれた都市で、現在見られる建造物は、古典期に相当するIII期(3〜8世紀頃)のもの。
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テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観
メキシコ中西部のハリスコ州には、テキーラ山からリオ・グランデ渓谷の間に位置する約350万平方kmもの広大な敷地が登録。ここは16世紀からリュウゼツランを使用したお酒・メスカルが製造され、この地で作られるプルケは伝統的に「テキーラ(酒)」と呼ばれます。
テキーラ市の南部に位置する「グアチモントネス遺跡」も登録範囲で、200年頃〜900年頃に繁栄したテウチトラン文化に属する遺跡も含めて世界遺産に登録されています。
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古代都市テオティワカン
メキシコ中央部、首都メキシコシティから北東へ約50kmにある都市遺跡。後にこの地を支配したメシカ人(アステカ人)によって、「神々の都市(テオティワカン)」と呼ばれるようになったもの。ここは1〜7世紀に栄えましたが、12世紀には既に廃墟となり、遺跡になりました。
ここには太陽と月のピラミッドなどの600基のピラミッドやケツァルコアトルの神殿が、整然と並んでいます。テオティワカンには高度な文明があったとされ、この都市で生まれた文化や芸術は中米一帯に広がっていきました。
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古代都市パレンケと国立公園
パレンケはメキシコ南東部にあるチアパス州に位置し、ウスマシンタ川沿いのジャングルの中にある古代都市。保存状態もよく、6〜8世紀頃のマヤ文明の古典期と呼ばれる時代の都市を代表する遺跡です。
ここは「碑文の神殿」を筆頭に美しい建築物やレリーフなどが見られます。しかし、他のマヤ遺跡との違いは、神殿の下に墓が発見されたということ。
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古代都市ウシュマル
ユカタン半島の北部の大都市メリダから南へ約80km。ここには、マヤの古典期後期から後古典期まで栄えたウシュマルの遺跡があります。ウシュマルはこの地域の中心都市であったとされ、7〜10世紀に交易で栄えました。
ここではマヤの独自の建築様式、プウク様式の建物が並び、魔法使いのピラミッドなど、精緻なモザイク文様が美しいことで知られます。さらに、建物の配置から高度な天文学を持っていたとされています。
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古代都市チチェン・イッツァ
ユカタン半島の北部・ユカタン州の州都メリダから東へ約120km。チチェン・イッツァとは、チチェン(泉のほとり)、イッツァ(魔術師)の組み合わせで、「泉のほとりの魔術師」という意味。街はセノーテと呼ばれる地下泉の上に築かれているために、この名が付けられています。
遺跡は北部の8〜10世紀に築かれたトルテカ期のもの、そして、南部には10〜13世紀に築かれたプウク期のものに2つに分けられています。ここには、長期に渡って栄えた形跡が残り、天文台や階段状のピラミッドなど、マヤ・トルテカ文明の宇宙観が見られる建築物が点在。
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カサス・グランデスのパキメ遺跡地帯
メキシコ北部のチワワ州カサス・グランデス市は、アメリカとの国境に近いエリア。パキメはカサス・グランデス川沿いにある肥沃な渓谷に築かれ、8世紀から15世紀まで人が暮らしていていました。
ここはケツァルコアトルの図像が残る一方、6〜7階建てのアドベ(日干しレンガ)の集合住宅などもあり、メキシコの先住民の文化とアメリカ南西部のプレブロ文化の交流が見られるもの。
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ソチカルコの考古遺跡地帯
首都メキシコシティの南方にあるモレロス州。州都クエルナバカの郊外にあるソチカルコとは「花々の館」という意味で、これは古代の中央アジアで広く話されていナワトル語から由来し、華やかな神殿からこのように付けられたとされています。
ここは最も高い丘を囲むように小さな丘が周囲に位置し、中央にある丘には最高神である「ケツァルコアトルの神殿」があり、この遺跡の建造物は南部のモンテ・アルバンやパレンケ、ユカタン半島のティカルなどの都市との交流が見られるもの。
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古代都市エル・タヒン
メキシコ湾の西岸に広がるベラクルス州の都市パパントラから南西へ8kmに位置する都市遺跡。ここでは現地に住むトトナカ人もしくはワステカ人によって築かれ、「タヒン」とは稲妻という意味で、神話から由来するもの。
シンボル的存在の「壁龕のピラミッド」は365もの壁龕を持ち、カレンダーのような機能を持っていたとされます。ここには球技場が17ヶ所もあるのが特徴。
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メキシコシティ歴史地区とソチミルコ
メキシコの首都メキシコシティは、16世紀にスペインによって滅ぼされた、アステカ帝国の都テノチティトランの上に建設された都市。これが現在の街の基盤となっていて「ソカロ」と呼ばれる中央広場を中心に碁盤の目のように道路が作られ、新大陸の植民都市のモデルともなりました。
地下から発掘された神殿「テンプル・マヨール」は、かつて頭蓋骨置き場(ツォンパントリ)や球技場などがあったとされ、広大な宗教施設だったと考えられています。
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世界遺産マニアの結論と感想
メキシコというと、密林の中に佇むマヤ文明のイメージがありますが、世界遺産に登録されている遺跡には、巨大な建造物が残っていて、その迫力は満点!メジャーな遺跡だけではなく、知る人ぞ知る重要な遺跡もあるのでぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。