なぜ「佐渡島の金山」は世界遺産になっていないのか?いつ登録されるの?そのあたりの事情を世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(3),(4)
申請年(暫定リスト)2010年

佐渡の金山は最近ニュースなどで「世界遺産登録を目指している」という記事をよく見ると思いますが、実は登録の一歩手前まで来ている段階なのです。なのに、なぜまだ世界遺産に登録されていないのか?

ここでは佐渡島の金山が、なぜ世界遺産でないのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、佐渡島の金山について詳しくなること間違いなし!

目次

佐渡島の金山とは?

道遊の割戸/佐渡島の金山

新潟県に属する佐渡島は、面積は854.76平方kmと、北方領土以外では沖縄本島の次に大きな島。ここは400年以上に渡って金と銀の採掘が行われた鉱山があり、江戸時代から使用されていた、労働者たちが暮らす町や集落、奉行所、関連施設が揃っていて、アジアの鉱山遺産の中でも保存状態が良いもの。

鉱山としての歴史は平安時代から遡りますが、相川金銀山・鶴子銀山が16世紀に発見されると、幕府は全国から労働者を集め、地表から削る露頭堀りやトンネル状に坑道を作ったり、島根の石見銀山から導入された灰吹法などを駆使した製錬を行ったり、さらに通貨の鋳造できる施設を作ったりと、この地は当時としては高度な技術が多く存在していました。やがて日本最大の金山となり、合計で金は78トン、銀は2330トンも採掘。

佐渡島の金山
画像素材:写真AC

1868年の明治維新後は国有化され、近代的な採掘技術が導入。その後、個人所有となり、近代的な鉱山として日本とアジアの鉱業の発展にも影響を与えています。ここで産出された金は、貨幣にも利用され、国際社会でも大きな影響を与えました。現在はすべて閉山してしまいましたが、それぞれの施設は史跡や重要文化財となり、銀山を中心とした文化的景観として、今も当時の様子を残しています。

なぜ佐渡島の金山は世界遺産としてまだ登録されていないの?

遊坑道/佐渡島の金山
画像素材:shutterstock

実は1997年に「世界文化遺産を考える会」という市民団体が発足するほどに世界遺産登録への意欲は高く、2007年に文化庁が世界遺産候補地を公募したところ、2010年には「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」として、世界遺産の暫定リストとして登録されました。

しかし、この「暫定リスト」というのはあくまでも「世界遺産候補」というだけであって、正式に世界遺産に認められるには、毎年開催される世界遺産委員会にて、文化遺産としてふさわしいか専門調査が行われた後、委員会で決定され、初めて世界遺産になるのです。よって、ここからが大変。

相川の鉱山町/佐渡島の金山
画像素材:写真AC

テーマに合わせて構成遺産などをいろいろと調整し、2016年に推薦書の原案を文化庁に提出しました。それから何度も修正を重ね、2020年の原案では「佐渡島の金山」と名称を短くして、2023年の世界遺産登録の候補地として2022年2月にユネスコ世界遺産センターに推薦書を提出。そして、ユネスコの諮問機関ICOMOSによって7月から審査が始まる…ハズだったのですが、実は推薦書には不備があり、既に2月28日付で日本に通達されていたのです。

再提出も間に合わない…よって、2023年登録は事実上不可能となってしまい、政府としては断念せざる得ない状況に。現在は2023年に改めて提出し、2024年の登録を目指しています。韓国の市民団体からの抗議活動もあり、そのあたりもどう調整していくのか…というのも悩み。

佐渡島の金山はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

道遊の割戸/佐渡島の金山
画像素材:shutterstock

日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2010年に暫定リストに記載された、日本政府における基準です。

登録基準(ii)
金山を中心とする鉱山遺跡群は、ここで発展した採掘技術や管理体制など、東アジアの鉱山にも影響を与え、大量に採掘された金によって江戸幕府や明治政府を支え、国際経済に多大な影響を与えたという点。

登録基準(iii)
400年以上にも渡って日本の金銀の採掘を続けてきた佐渡島の金山は、鉱山遺跡や歴史的建造物、労働者たちが暮らした町や集落などは保存状態も良く、アジアの他の鉱山跡地では見られないということ。

登録基準(iv)
金山は砂金鉱床や露頭堀りなどの古典的な採掘技術が行われたり、近代的な鉱山群なども見られたりと、近世から近代まで採掘技術や鉱山運営の発展の段階を示し、人類史の重要な段階であるという点。

佐渡島の金山として登録された際の構成遺産

相川金銀山・鶴子銀山

相川金銀山/佐渡島の金山
画像素材:shutterstock

相川金銀山は島の西部に残る金山で、16世紀末に開発が始まりました。もともとは反対側にあった鶴子銀山が中心でしたが、17世紀に江戸幕府になると、相川金銀山からは幕府の財源となるほどに多くの金銀が産出。しかし、江戸時代中期になると産出量が減り、衰退。明治時代になると、火薬や削岩機などを利用した近代的な採掘が始まると、1940年には鉱山の歴史上最高となる1500kgの金を採掘するほどに。その後、衰退していき、1989年に閉山。

鶴子銀山は17世紀初期には銀の採掘量が減ってしまったため、18世紀には銅の採掘が中心となり、1946年に閉山。

西三川砂金山

西三川砂金山/佐渡島の金山
画像素材:番記者(Wikimedeia Commmons)

島の南部・小佐渡山地に位置する砂金鉱床。「金山」とはいうものの、西三川周辺に点在する砂金が採取できる山々の総称で、ここは国内で唯一の埋没型の砂金鉱床で世界的にも珍しいもの。

世界遺産マニアの結論と感想

日本海に浮かぶ佐渡島の金山は、江戸時代から近代日本を支えるほどの採掘量を誇り、古くから高度な採掘技術が見られるという点で世界遺産に登録予定です。推薦書の不備によって審査が遅れていますが、無事に評価されれば2024年には登録されるので、ぜひ期待して待っていましょう!

ちなみに、悪事を隠すことを「猫ばば」と言いますが、もともとは相川金銀山で金鉱石の選別する際に水を利用することを「猫流し」と呼ばれるのですが、金を横領しないように女性が作業員を監視していました。その女性の熟練工を「猫婆」と読んだことが語源であるという説もあるとか。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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