ロシアの世界遺産「ヤロスラヴリの歴史地区」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(6)
登録年2005年

首都モスクワの北東約250kmに位置するヤロスラヴリは、11世紀から発展した商業都市。ここは18世紀に皇帝エカチェリーナ2世の命で再建され、ヴォルガ川流域で最古のスパソ・プレオブラジェンスキー修道院など、歴史的建造物を残しつつ、川に面した半円状の近代的な都市計画がされているという点で評価。

ここではヤロスラヴリの歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヤロスラヴリについて詳しくなること間違いなし!

目次

ヤロスラヴリの歴史地区とは?

ヤロスラヴリの歴史地区
画像素材:shutterstock

ヤロスラヴリは、ロシア西部・ヤロスラヴリ州の州都で、ヴォルガ川とコトロスリ川の合流点に位置する商業都市。ここは11世紀から存在し、小さな木造の要塞がありました。12世紀に異教徒の寺院の跡地に建造されたスパソ・プレオブラジェンスキー聖堂は、ヴォルガ川流域で最古の修道院で、13〜16世紀までの建築様式が今でも見られます。

17世紀にはポーランド軍によってモスクワが占拠されたため、ここが首都的な存在になったこともあり、都市としての重要度が上がっていきました。その時期には、白い明るいタイトルを外部に張り付けた聖堂がいくつか建造され、その中でも「預言者イリヤ聖堂」が代表的。

18世紀になると、皇帝エカチェリーナ2世の命で再開発が行われ、歴史的な建造物は保護されつつも、ヴォルガ川に面した半円状に広がる都市となりました。ここは2〜3階建ての新古典主義時代の建築物が並ぶという優雅な街並みへと変貌し、19世紀まで再建が続けられました。

ヤロスラヴリの歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヤロスラヴリの歴史地区
画像素材:shutterstock

ヤロスラヴリが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
17世紀に建造された聖堂群、そして、新古典主義の都市計画で再建された歴史地区は、西欧とロシア帝国との建築の面において交流が見られるという点。

登録基準(iv)
ヤロスラヴリの歴史地区は、18〜19世紀にエカチェリーナ2世がロシア全土において実施した都市の再建計画の顕著な例であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ヤロスラヴリは、11世紀からの歴史を持つ都市ですが、17世紀に建造された聖堂がいくつか残り、現在の街は18世紀にエカチェリーナ2世によって、新古典主義様式の都市に再建されました。これは啓蒙専制君主であるエカチェリーナ2世が西欧の建築様式をロシアに持ち込み、その影響が見られる都市という点で評価されています。

ちなみに、1598年から1613年までをロシアでは「動乱時代」といい、王朝が断絶したために戦争が続き、飢饉で国民の約3分の1が死亡するという激動の時代でした。そして、ポーランド軍によってロシアは占領されることになり、外敵から国を守るために、皇位僭称者である偽物の王も登場するという恐ろしい展開に。これは最後にドミトリーと呼ばれる王子が亡くなったことから、彼が「生きていた」という設定で庶民がドミトリーを名乗ったのです。その偽ドミトリーはなんと1世から4世まで存在しています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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