トルコといえば、ヨーロッパとアジアを結ぶ架け橋のような位置にある国。イスランブールやカッパドキア、パムッカレ…と有名な世界遺産が多いですが、実は21もの遺産が登録されているって知っていました?
ここでは、トルコの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
イスタンブール歴史地域/1985年登録
トルコ共和国の最大都市イスタンブールは、かつてはローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の首都となった場所。この街は、ボスフォラス海峡を挟んで北は黒海、南はマルマラ海という好立地のため、軍事的や経済的にも優れており、古くから人が住んでいました。イスタンブールはヨーロッパとアジアを結ぶ交差点でもあり、文化が交流・発展しつつ、2000年近くも大国の首都として機能してきました。
ビザンツ帝国最大の大聖堂であったアヤ・ソフィア、世界で最も美しいモスクとされるブルー・モスクなど、ここは世界的に評価の高い建築物が見られる都市でもあります。
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ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群/1985年登録
カッパドキアとは、アナトリア高原の中央、ネヴシェヒル県の一帯を指します。ここは300万年前に近隣のエルジエス山(標高3916m)が大噴火したことにより、一帯が凝灰岩や玄武岩の層となって、風雨によって一部の凝灰岩が削られると、キノコ型の岩などの奇岩地帯が形成されました。
ギョレメ渓谷に残る岩窟教会や、カイマクルとデリンクユに地下に広がる都市構造なども含めて世界遺産に登録されています。
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ディヴリーイの大モスクと病院/1985年登録
トルコ中部のスィヴァス県。現在のディヴリーイは山間の小さな街ですが、大きなモスクと病院を含めた複合建築が残っています。これらはこの地方を治めていたメンギュジェク朝のアフメッド・シャーによって1228〜1229年に大モスクが設立され、病院は彼の妻であるトゥラン・メレクの願いによって加えられたもの。
これはルーム・セルジューク朝(1077〜1308年)の傑作で、特に3つの扉の装飾彫刻には植物や幾何学の文様、文字などが組み合わされたユニークなイスラム建築です。
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ヒッタイトの首都ハットゥシャ/1986年登録
アナトリア半島の中央部にあるチョルム県のボアズカレ郊外の丘陵地帯にハットゥシャの遺跡があります。ヒッタイト帝国は紀元前17世紀〜紀元前13世紀にアナトリア半島を中心に栄えた国で、昔の教科書では製鉄技術を持っていた国とされてきましたが、今では鉄器を使った軽戦車(チャリオット)を導入したという点で評価されている国。
現在は遺跡となっていて、かつての王宮や神殿の他に、壮麗な門の装飾、帝国の繁栄を偲ばせるレリーフも残存。
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ヒエラポリス-パムッカレ/1988年登録
パムッカレは、トルコの南西部にあるデニズリ県の県都デニズリから北へ約15kmの位置にあるエリア。平原にある標高約200mの丘には、斜面から石灰を含んだ温泉水が流れており、これが堆積して段々状の棚を作り出し、まるで綿が集まった城塞に見えることから、トルコ語で「綿の城(パムッカレ)」と呼ばれます。
パムッカレの丘の上には紀元前2世紀に築かれたヒエラポリスがあり、ここはローマ時代、温泉をテーマとした健康センターとして栄えた場所でした。
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ネムルト・ダウ(ネムルト山)/1987年登録
トルコ南東部にあるネムルト山は標高が2134mもあり、周囲の山々でも最高峰。この山の山頂には、紀元前1世紀に建造された、コンマゲネ王国のアンティオコス1世(紀元前69〜34年)の霊廟があります。
山頂は、高さ約50m(かつては75m)、直径約150mの円錐形の巨大な墳墓とされる丘となっていて、これは人工的に作られたもの。東西のテラスでは、ギリシャとペルシャの神々が並ぶという、コンマゲネ王国の文化が見れられます。
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クサントス・レトゥーン/1988年登録
アナトリア半島南西部、アンタルヤ県とムーラ県の県境近くには、クサントスとレトゥーンという2つの遺跡があります。これらはこのエリアで繁栄したリュキア文明に属する遺跡で、謎が多いリュキアの文化を現在に残すもの。
遺跡では、リュキア人の伝統とギリシアの文化の融合が見られ、これらの都市では柱の上部に墓を置くという独特の埋葬習慣があったことでも有名です。
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サフランボル市街/1994年登録
サフランボルは、アナトリア半島でも黒海沿岸に位置するカラビュック県の小さな街。もともとはサフランの交易地であったことから「サフランボル」と名付けられました。ここはオスマン帝国時代は宿場町として栄え、伝統的な家屋が今でも多く残っています。
街には17世紀に建造された伝統的家屋が多く点在し、これらは2階部分が道路に突き出るという独特の建築様式となっています。
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トロイの考古遺跡/1998年登録
トルコ西北部・チャナッカレ県に位置するトロイの考古学遺跡は、ダーダネルス海峡から南へ約5kmの距離にあり、エーゲ海の平原を見下ろすようにあるヒサルルクの丘に築かれたもの。
1870年からドイツの富豪であり、考古学者であったシュリーマンが発掘調査を行ったことによって、ここに伝説の都市トロイがあったということが判明しました。実際のトロイは、紀元前3000年から紀元500年頃にいたるまで何層にも渡って建造された都市で、現在は遺構として公開されています。
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セリミエ・モスクとその社会的複合施設群/2011年登録
エディルネはトルコのヨーロッパ側のトラキア地方の中心都市で、ブルガリア国境まで10kmの位置にあります。ここはオスマン帝国の初期の首都であった場所。
都市には、スルタンであったセリム2世(1524〜1574年)の命により設計された、オスマン帝国の大建築家ミマール・スィナンの最高傑作であるセリミエ・モスク(ジャーミィ)があります。4つの細いミナレットに大きなドームの壮麗なモスクで、周囲には図書館や学校、市場、中庭などが含まれたキュリエ(公共施設群)が併設。
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チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡/2012年登録
アナトリア半島内陸の南側にある都市コンヤから南東へ約40km。平原に位置する2つの丘がチャタル・ヒュユクの遺跡。ここは紀元前7500年〜紀元前5200年まで人々が暮らした場所。
チャタル・ヒュユクは2つの丘(テル)で構成され、18層もの新石器時代の文化が見られ場所です。2つの丘では人類が集住生活から定住生活、農耕生活への変化が見られるという点で大変貴重なもの。
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ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地/2014年登録
トルコ北西部のブルサ県の県都であるブルサ市は、人口が300万人を超えるトルコ第4の都市。ここはかつてトルコだけでなく、東地中海からバルカン半島まで支配したオスマン帝国の最初の首都があった場所。
ブルサ市内にはモスクや霊廟、学校などで構成されるキュリエと呼ばれる宗教施設があり、郊外には都市部の経済を支えた農村地帯ジュマルクズックも含めて登録されています。
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ペルガモンとその重層的な文化的景観/2014年登録
ペルガモンはアナトリア半島の西部にある都市ベルガマの郊外に位置します。ここは紀元前3世紀〜紀元前2世紀に繁栄したアッタロス朝の首都でした。
丘の上にあるアクロポリスは上市と呼ばれ、巨大な図書館に代表的される遺構が並ぶエリア。当時のペルガモンは劇場や教育機関を持つ文化都市でもありました。その後、信仰対象などが変わり続けても都市の宗教施設は改築されて利用され続けたという点で評価されています。
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エフェソス(エフェス)/2015年登録
トルコの西部に位置するイズミル県セルチュク近郊のエフェソスは、紀元前7000年前から人々が住んでいた地。紀元前2世紀頃にアナトリア半島が共和制ローマの領土になると、ここはアジア属州の首府として栄えました。
遺跡には、ヘレニズム建築やローマ建築などが点在していて、保存状態の良い図書館や劇場など、当時の繁栄した姿を現在に残します。周囲には、世界七不思議の一つであるアルテミス神殿跡や聖母マリアが住んでいた家とされる礼拝堂などがあり、これらも含めて登録。
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ディヤルバクル城塞とヘヴセル庭園の文化的景観/2015年登録
ディヤルバクルは、トルコ南東部にある城壁都市で、城壁は古代ローマ時代に造られたもの。ここは古代ローマ時代からオスマン朝時代まで、交易の中心地として栄えました。
都市を囲むように造られた城壁は約5.8kmの長さを誇ります。そして、周囲にはディヤルバクルの人々の生活の基盤であった農地・ヘヴセル庭園があり、こちらも含めて文化的景観として登録。
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アニの考古遺跡/2016年登録
アニはトルコ北東部のカルス市から東に約42kmの位置にあり、現在のアルメニアとの国境でもある峡谷沿いに建造されたシルクロードの商業都市でもありました。
ここは中世にバグラトゥニ朝アルメニア(885〜1045年)の首都であった場所。現在は7〜13世紀にかけて発展した中世の建築物が多く見られる遺跡となっています。
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アフロディシアス/2017年登録
アフロディシアスは、トルコ南西部のメンデレス川によって形成された肥沃な渓谷に位置します。この地では紀元前3世紀からギリシャ神話の女神アフロディーナの信仰が始まり、神殿が築かれると、2世紀には都市が形成されました。
ここはローマ帝国と親密な関係があり、ローマの元老院から税の免除を受けるほど。神殿や劇場、広場などが残り、かつての繁栄が今でも見られるのが特徴。
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ギョベクリ・テペ/2018年登録
ギョベクリ・テペは、アナトリア半島の南東部にある都市シャンルウルファの郊外に位置しています。ギョベクリ・テペとは「太鼓腹の丘」という意味で、標高約769mの丘の上に築かれたもの。
中央にあるT字型の柱には野生動物が刻まれており、ここは世界最古の宗教的儀式の場であったとされ、遺跡は約1万1500万年前のメソポタミア北部の人々の生活や信仰を知ることができるもの。
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アルスランテペの遺丘/2021年登録
トルコ南東部に位置する都市マラテヤの郊外に残る遺跡。アルスランテペとは「ライオンの丘」という意味で、高さ30mの丘陵地帯に遺跡が広がっています。ここは50年以上にも及ぶ発掘から、紀元前6000年頃から利用されていたということが分かり、トルコで最も古い宗教都市であったとされるもの。
遺跡からは世界でも最も古いとされる剣なども発見されていて、アナトリア半島最古の集落とされています。
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ゴルディオン/2023年登録
ゴルディオンは、トルコの首都アンカラから南西へ約70kmの位置にある遺跡で、ここはヤスヒュック村の郊外にあり、青銅器時代初期(紀元前3000年ころ)から中世(12〜13世紀)にいたるまで長い期間利用されていたとされています。
ここはギリシャ神話や文献でしばしば登場したフリギア王国の首都だったとされる遺跡。紀元前12世紀からフリギア人がこの地に暮らしていたことが分かっていて、謎の多い彼らの足跡をたどることができます。ここはアレキサンドロス大王の「ゴルディオンの結び目」の伝説でも有名。
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木柱と木製上部構造を備えたアナトリアの中世モスク群/2023年登録
アナトリアとは、現在のトルコ共和国のアジア側、アナトリア半島を示すエリア。10〜11世紀に中央アジアで流行してた木の柱や木製上部構造を取り入れたモスクが各地で建造されました。
ここでは13世紀以降の5つのモスクが登録されていて、これはトルコでも特殊なタイプのモスクで、内部の木材の表面にはカラフルな装飾が見られるのが特徴。
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世界遺産マニアの結論と感想
トルコの世界遺産は文化遺産が19件、複合遺産が2件と盛りだくさん!イスタンブールのモスクやカッパドキアのキノコ岩などの有名なスポットだけでなく、世界でも最古の宗教的施設だとされる遺跡など、文化の交差路にあるだけに奥深い遺産も多いので、ぜひディープに楽しんでみてくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。