登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 2016年 |
登録年 | (1), (2), (6) |
パリを中心に活躍した建築家ル・コルビュジエは、20世紀の近代建築運動において多大な貢献をした人物。数多くある作品の中でも7ヶ国17の建築物が登録されていて、これはそれまでのヨーロッパの建築とは異なり、彼自身が半世紀以上かけて磨いていった新しい概念が導入されたもの。これらは社会の要望に応える新しい建築技術を発明し、それが反映されたという傑作であり、彼の新たな建築様式は世界に広がっていきました。
ここではル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ル・コルビュジエの建築作品について詳しくなること間違いなし!
ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-とは?
ル・コルビュジエ(1887〜1965年)は、近代建築の三大巨匠の一人として有名。彼はスイス生まれの建築家で1922年にパリで事務所を構え、本格的に活動をスタートすると、『建築をめざして』という著作を発表。コルビュジエは、機能的で合理的なデザインを追求し、20世紀の建築や都市計画に大きな影響を与えました。これは4つの大陸、17もの彼の作品群が登録されているため、構成資産が大陸をまたがる「トランス・コンチネンタル・サイト」として初の世界遺産でもあります。
彼は近代建築の基礎を多く築きましたが、特に「近代建築の五原則」で有名。これは1.ピロティ、2.屋上庭園、3.自由な平面、4.水平連続窓、5.自由なファサードで構成されるもの。ピロティは、フランス語で「杭」を意味し、1階部分を柱で建物を作るという仕組み。それまでのヨーロッパの建築スタイルは壁によって建築物を支えるというものでしたが、柱によって床面を支えるという新たな概念が生まれ、デザインがより自由になったのです。この五原則は1928年に設計した、彼の最高傑作の「サヴォワ邸」で体現され、世界的に大きな影響を与えました。
登録されている世界遺産
ラ・ロッシュ-ジャンヌレ邸/フランス
パリで1923〜1925年にかけて建造された2世帯住宅。コルビュジエの兄・音楽家のアルベール・ジャンヌレと、好意的な顧客であったラ・ロッシュの2人によって依頼されたこともあり、ここは近代建築の五原則の一つ、水平連続窓を導入したりと、実験的な建造物でもありました。その中でも湾曲した壁面とそれに続くスロープといった新しい表現も見られるのが特徴です。現在はル・コルビュジエ財団の本部として利用。
レマン湖畔の小さな家/スイス
スイス南西のレマン湖の近くに建造された家は、彼の両親のために1923〜1924年にかけて建造した小さな家。これは人間工学に基づき、空間を最小限にしつつも最大限に暮らしやすい住環境を目指す「最小限住宅」の原型でもあります。南側の横長の窓からは光が大きく取り込めるようになっていて、近代建築の五原則も見られるのが特徴。
ギエット邸/ベルギー
ベルギー北部の都市アントウェルペン(アントワープ)で1926〜1927年にかけて建造された箱型の住宅。近代建築の五原則の一つ「自由なファサード」を採用されたファサードがあり、当時のオランダで流行した抽象美術運動の「デ・ステイル」の影響も見られるもの。
ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅/ドイツ
ドイツの南東部の工業都市・シュトゥットガルトで、1927年にジードルング(共同住宅)の住宅展に出展されたもの。近代建築の五原則の要素が見られ、空中で浮かんでいるような構造が見られます。ただし、片方から見ると壁面しか見られません。
サヴォア邸と庭師小屋/フランス
パリ郊外にあるポワシーで築かれた邸宅。ここは1928〜1931年にかけて建てられ、近代建築の五原則がすべて集まった彼の傑作でもあります。1階の柱は細く、ピロティが採用され、まるで空に浮かんでいるよう。2階が住居となっていて、ここは水平連続窓が見られ、3階は屋上庭園といった構造。建築素材は当時としては新しい鉄筋コンクリートが採用されています。
庭師小屋は同じ敷地内に建造され、庭師向けの小さな住宅となっています。サヴォワ邸が富者のための建造物であるのに対し、庭師小屋は貧者のための建造物ということもあり、彼の建築はすべての人々のものであるということを示すもの。
イムーブル・クラルテ/スイス
スイスの南西にある大都市ジュネーヴに建造された集合住宅。ここは1930〜1932年に建設され、彼が最初に設計した集合住宅でもあり、仕切り壁や組み込み型の家具などが採用され、後のプレハブのアイデアに繋がったとされています。これは第二次世界大戦後に多く設計されるユニテ・ダビタシオンなどのプロトタイプとも言えるもの。
ポルト・モリトーの集合住宅/フランス
パリ郊外のベッドタウンであるブローニュ=ビヤンクールに1931〜1934年に建造された集合住宅。全面ガラス張りのファサードのある世界初の集合住宅として評価されていて、内部はセントラルヒーティングや地下ガレージがあり、室内環境も充実していました。ちなみに、ここにコルビュジェの住居とアトリエがあったことでも有名。
マルセイユのユニテ・ダビタシオン/フランス
フランス南部の港湾都市のマルセイユに1945年に建造された集合住宅。「ユニテ・ダビタシオン」とは、彼の都市計画案を実現したものの一つで、集合住宅を垂直に建造するというスタイル。1階はピロティとなっていて、屋上には庭園が置かれているという構造です。鉄筋コンクリートの骨組みにプレハブを組み込むというプラモデルのような規格を採用。
ユニテ・ダビタシオンは、フランス各地に建造され、マルセイユのものは、8階建て、337戸、合計で1600人もの暮らすことができる大型の集合住宅。7・8階には店舗や郵便局、屋上には保育園やプール、体育館など、共用施設が置かれていました。
クルチェット邸/アルゼンチン
首都ブエノスアイレスの南東約50kmの位置にある都市ラプラタにある邸宅。南米で唯一のコルビュジェの建築物で、外科医のペドロ・ドミンゴ・クルチェットの依頼によって1949年に設計されたもの。アルゼンチンの気候に合わせて「日除け格子」を工夫し、建物をU字にするという地元の建築様式を取り入れていました。
ロンシャンの礼拝堂/フランス
フランス東部のオート=ソーヌ県ロンシャンはかつては巡礼地であったものの、第2次世界大戦時にナチス・ドイツによって礼拝堂が破壊。そして、神父の依頼により、1950〜1955年に建造されました。「礼拝堂」とはなっているもの、外観はコルビュジェが「カニの甲羅をモチーフにした」と述べたというほどに独特の屋根が置かれ、否定的な評価を受けたこともあるほど。
しかし、これは高地にあるために雨水が集められるような天井構造で、壁はミサを行う時に最適な音響効果があるように凹んだものにしたりと、機能的な側面が見られます。革命的な宗教建築として彼の最高傑作でもあります。
カップ・マルタンの休暇小屋/フランス
フランス南東部のロクブリュヌ=カップ=マルタンは、モナコにも近いリゾート地。これは1951年に妻イヴォンヌのために建造された休暇小屋です。底辺3.66m、天井までの高さは2.66mといった小さな丸太小屋で、これは彼の建築構想の一つ「最小限住宅」を実践したもの。妻が亡くなった後も彼は何度も立ち寄り、1965年にこの地で没しました。よって近くには彼とイボンヌの墓が残っています。
チャンディガールのキャピトル・コンプレックス/インド
インド北部のチャンディガールは、パンジャブ州の州都。ここはインドの高官の依頼によって、コルビュジェの都市計画が実践された地でもあります。都市はドミノ様式で建築物を並べ、格子状に商業地区や行政地区などが配置。建造物もアーチ状の屋根を持つ高等裁判所や「開かれた手」と呼ばれる記念碑など、独特の建造物が点在します。
しかし、彼自身もすべての計画を実現することができず、その一方、合理的な都市計画は批判されたりしましたが、彼が構想した都市計画で唯一実現された都市として評価されています。
ラ・トゥーレットの修道院/フランス
フランス南東部のローヌ県・エヴーに1953年に建造された修道院。ここは修道院ではあるものの、ユニテ・ダビタシオンのような集合住宅と宗教建築を見事に調和したモダニズム建築物でもあります。半地下の礼拝堂は、三本の円筒から光が差し込み、闇の中で壁を照らすという効果を持つもの。
国立西洋美術館/日本
日本におけるコルビュジエの唯一の作品。1955年に建造された美術館で、彼の晩年の作品でもあり、彼はあくまでも設計担当で、弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正の3名によって実施設計されました。
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ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ル・コルビュジエの建築作品が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ル・コルビュジエの建築作品は、人類の想像的才能を示す傑作であり、20世紀の建築や社会における課題を解決するものであったということ。
登録基準(ii)
ル・コルビュジエの建築作品は、近代建築の誕生と発展に深く関係し、半世紀以上に渡って、4つの大陸の建築に前例のない影響を与えていて、世界規模での人間の価値交換を示すものであるという点。
登録基準(vi)
ル・コルビュジエの建築作品は、「近代建築」に直接関連していて、20世紀にその理念と作品が重要性を持ち、これらは建築や絵画、彫刻などと融合を示し、半世紀に渡って世界で広まった「新しい建築様式」を表したものであったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ル・コルビュジエは、さまざまな芸術様式を取り入れ、住環境における課題を解決できるような「近代建築の五原則」を含めて、20世紀の近代建築の発展に大きく貢献していて、4つの大陸にまたがる彼の作品はそれを証明するものであるという点で評価されています。
ちなみに、彼は世界遺産にも登録されている「ラ・ショー=ド=フォン」の時計の文字盤職人の家に生まれ、意外な話ですが、もともとは時計職人になるつもりだったために、大学などは通っていないのです。美術学校に通っている時に校長の薦めで建築のデザインを行ったことがきっかけで建築家になったという異色の建築家でもありました。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。