西アジアでも広大な面積を誇るイランは、世界遺産大国。なんといってもペルセポリスで有名ですが、実は世界史において重要な役割を果たした国々の遺跡が多く点在していることでも知られます。
そんな中、イランで世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
チョガ・ザンビール
画像素材:shutterstockイラクとの国境にも近いフーゼスターン州に位置するチョガ・ザンビールは、エラム王国(現在のイラン南西部に紀元前33世紀頃から紀元前6世紀頃に存在していた古代国家)の首都スーサの近くにあった宗教都市。
都市は聖地であった場所に紀元前1250年頃建造され、かつてはインシュナク神に捧げるための聖塔・ジッグラトが存在していました。ジッグラトは崩壊していますが、現在でも24.75mもの高さがあります。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「チョガ・ザンビール」とは?ジッグラトを含めて世界遺産マニアが解説 イラン南西部の荒野に位置するチョガ・ザンビールの遺跡があります。ここはエラム王国時代の聖地であった場所に紀元前1250年頃建造され、かつてはインシュナク神に捧げるための聖塔・ジッグラトが存在していました。現在は崩壊していますが、24.75mもの高さがあります。 ここではチョガ・ザンビールがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チョガ・ザンビールについて詳しくなること間違なし! スーサ


画像素材:shutterstockイラン南西部にあるフーゼスターン州のシューシュは、かつてスーサと呼ばれ、紀元前4500年前から都市が存在したというほどに歴史の深い都市。街の中心部シャブール川の東側に丘があり、ここにはかつて存在していた都市の遺跡があります。
ここはエラム王国、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など、13世紀までの都市遺跡が層を成していて、さまざまな時代の建築物や宮殿、住居などが発掘されています。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「スーサ」とは?その場所も含めて世界遺産マニアが解説 イランの南西のザグロス山脈の近くに位置するスーサは、紀元前4500年前から存在するという歴史の深い街。ここはエラム王国、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など、13世紀までの都市遺跡が層を成していて、さまざまな時代の建築物や宮殿、住居などが発掘されています。 ここではスーサがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スーサについて詳しくなること間違なし! シャフリ・ソフタ


画像素材:shutterstockアフガニスタンとの国境に面したスィースターン・バルーチェスターン州にある日干し煉瓦の都市遺跡は、シャフレ・ソフタと呼ばれ、イラン東部でも最初期の都市であり、繁栄した文明が存在したと考えられています。
ここは紀元前3200年ころに誕生してから、紀元前1800年頃までに4つの段階で人口が増加したものの、最終的には水路の迂回や気候変動によって都市は放棄。しかし、砂漠地帯にあったため、保存状態は良好です。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「シャフレ・ソフタ」とは?世界遺産マニアが解説 イラン東部に位置するシャフレ・ソフタは「燃えた街」という意味を持つ遺跡。青銅器時代はイラン高原を横断するルートの交差点で、この地域の最も初期の社会が見られるもの。紀元前3200年ころに設立してから、紀元前1800年頃までに4つの段階で人口が増加したものの、最終的には水路の迂回や気候変動によって都市は放棄。しかし、砂漠地帯にあったため、保存状態は良好です。 ここではシャフレ・ソフタがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャフレ・ソフタについて詳しくなること間違なし! パサルガダエ


画像素材:shutterstockパサルガダエは「ペルシャ人の本営」という意味で、現在のイラン南西部のファールス州に造られました。最も有名な遺跡であるペルセポリスから北東87Kmに位置しており、アケメネス朝の最初の首都となった場所でもあります。
ここは紀元前6世紀に建造された都市で、宮殿や庭園、霊廟など、ペルシャ帝国初期の建築技術の基礎が見られます。最も有名なのは、アケメネス朝ペルシャの創設者・キュロス2世の墓。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「パサルガダエ」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南西部のファールス州にあるパサルガダエは、かつてアケメネス朝ペルシャの首都であった場所。ここは紀元前6世紀に建造された都市で、宮殿や庭園、霊廟など、ペルシャ帝国初期の建築技術の基礎が見られます。最も有名なのは、アケメネス朝ペルシャの創設者・キュロス2世の墓。地中海沿岸からインダス川まで支配した王朝だけあって、建築物はさまざまな様式が見られ、多様性が尊重されていたということが分かります。 ここでは、パサルガダエがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パサルガダエについて詳しくなること間違なし! ペルセポリス


画像素材:shutterstockペルセポリスは、イラン南部のファールス州の高原に位置する広大な遺跡。ここは紀元前518年にアケメネス朝ペルシャの王・ダレイオス1世によって築かれた宗教都市でした。
広大な領土を持ったアケメネス朝が築いた都市だけあって、敷地には豪華な宮殿が建設されました。現在はほとんどが崩壊してしまいましたが、壮麗なレリーフや門、宮殿跡などからは当時の様子がイメージできるほど。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「ペルセポリス」とは?場所はどこ?碑文を含めて世界遺産マニアが解説 イラン南部の高原に位置するペルセポリスは、紀元前518年にアケメネス朝ペルシャの王・ダレイオス1世によって築かれた宗教都市。広大な領土を持ったアケメネス朝が築いた都市だけあって、豪華な宮殿が建設されました。現在はほとんどが崩壊してしまいましたが、壮麗なレリーフや門、宮殿跡などからは当時の様子がイメージできるほど。 ここでは、ペルセポリスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルセポリスについて詳しくなること間違なし! ベヒストゥン


画像素材:shutterstockイラン西部のケルマンシャー州に位置する遺跡で、60mもの石灰岩の崖に多言語の碑文が刻まれたもの。ここはイラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、遺跡は先史時代からアケメネス朝とそれ以降のものも含まれていますが、主に紀元前6世紀から紀元6世紀までの遺構が多いというのが特徴。
その中でも紀元前521年に建造のダレイオス1世が王位に付いたことを記念した碑文とレリーフが有名。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「ベヒストゥン」とは?世界遺産マニアが解説 イラン西部にあるべヒストゥンは、イラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、ここには先史時代からメディア、アケメネス朝、ササン朝、イル・ハン朝時代までの遺構が残っています。その中でも紀元前521年に建造された、ダレイオス1世が王位に付いたことを記念した碑文とレリーフが有名。 ここではベヒストゥンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベヒストゥンについて詳しくなること間違なし! タフテ・ソレイマーン


画像素材:shutterstockイランでも最も西部にある西アーザルバーイジャーン州のタフテ・ソレイマーンは、火山地帯にある谷間に位置しています。ここは約2500年に渡って使用されたゾロアスター教の聖地であり、拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)が置かれた重要な場所でもありました。
タフテ・ソレイマーンに築かれた神殿と宮殿は、イスラム時代の建築物に大きく影響を与えています。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「タフテ・ソレイマーン」とは?世界遺産マニアが解説 イラン北西部にあるタフテ・ソレイマーンは、ササン朝ペルシャ(224〜651年)の聖地であり、ここにはゾロアスター教の拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)が置かれた重要な場所でもありました。この地に存在した神殿や宮殿などは後のイスラム建築の発展に大きな影響を与えています。 ここではタフテ・ソレイマーンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、タフテ・ソレイマーンについて詳しくなること間違なし! ファールス地方のサーサーン朝考古景観


画像素材:shutterstockファールス州はイラン南部に位置していて、ファールスは「ペルシャ」の語源ともなっており、紀元前1000年頃に現在のペルシャ人のルーツである民族が進出した地。ここにはサーサーン朝ペルシャ時代(224〜651年)の3つのエリアにある8つの考古学遺跡が残っています。
登録エリアは王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世が築いた都市や建造物が点在。現在も残る建造物は自然の地形を利用していて、ローマ帝国や過去の王朝であるアケメネス朝やパルティアなどの文化的影響を受け、イスラム時代にも影響を与えたもの。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南部ファールス州には、サーサーン朝ペルシャ(224〜651年)時代の3つのエリアにある8つの考古学遺跡が残っています。ここは王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世が築いた都市や建造物が点在。現在も残る建造物は自然の地形を利用していて、ローマ帝国や過去の王朝であるアケメネス朝、パルティアなどの文化的影響を受け、イスラム時代にも影響を与えたもの。 ここではファールス地方のサーサーン朝考古景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サーサーン朝考古景観について詳しくなること間違なし! バムとその文化的景観


画像素材:shutterstockイラン南東部にあるケルマーン州。イラン高原の南部に位置する高原都市であるバムは、山々に囲まれた谷に築かれた都市。カナートという地下水路を使用した水が流れ込む地であるため、周囲は豊かな土壌でもありました。
ここは7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地となり、絹と綿の衣類の生産で繁栄。街の北東部にあるアルゲ・バム(バム城塞)は9世紀に建造され、周囲の中世の要塞建築の中でも代表的なものでもあります。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「バムとその文化的景観(アルゲ・バム)」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南部に位置するオアシス都市・バムは、アケメネス朝(紀元前550〜330年)時代に遡るほどに古い街。その後、ここは7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地となり、絹と綿の衣類の生産で繁栄。街の北東部にあるアルゲ・バム(バム城塞)は9世紀に建造され、周囲の中世の要塞建築の中でも代表的なものでもあります。 ここではバムとその文化的景観(アルゲ・バム)とその文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バムについて詳しくなること間違なし! ゴンバデ・カーブース


画像素材:shutterstockトルクメニスタンの国境沿いに広がるゴレスターン州にあるゴンバデ・カーヴース。ここはシーア派のイスラム王朝ズィヤール朝(927〜1043年)の首都ジョルジャーンの近くにあった場所で、53mの塔はゴンバデ・カーヴースと呼ばれます。
これは11世紀にズィヤール朝4代目の君主カーブース・ブン・ワシュムギールが建造したもの。その革新的な建築様式は周囲のイスラム国家の建築物に影響を与えるほどの傑作でもあります。
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あわせて読みたい イランの世界遺産「ゴンバデ・カーブース」とは?世界遺産マニアが解説 イラン北東部にある都市ゴンバデ・カーブースには、同名の塔があり、これは11世紀にズィヤール朝4代目の君主カーブース・ブン・ワシュムギールが建造したもの。ここはかつてズィヤール朝の首都であったジョルジャーンと呼ばれた時代の名残で、その革新的な建築様式は周囲のイスラム国家の建築物に影響を与えるほどの傑作。 ここではゴンバデ・カーブースがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゴンバデ・カーブースについて詳しくなること間違なし! 世界遺産マニアの結論と感想
イランはもともとはペルシャと呼ばれていて、国中にかつての繁栄が見られる遺跡が多く並んでいます。なんとなく知っている遺跡が実はイランだった…ということも!ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。