世界遺産に登録されているイランの遺跡はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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西アジアでも広大な面積を誇るイランは、世界遺産大国。なんといってもペルセポリスで有名ですが、実は世界史において重要な役割を果たした国々の遺跡が多く点在していることでも知られます。

そんな中、イランで世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。

目次

チョガ・ザンビール

チョガ・ザンビール
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イラクとの国境にも近いフーゼスターン州に位置するチョガ・ザンビールは、エラム王国(現在のイラン南西部に紀元前33世紀頃から紀元前6世紀頃に存在していた古代国家)の首都スーサの近くにあった宗教都市。

都市は聖地であった場所に紀元前1250年頃建造され、かつてはインシュナク神に捧げるための聖塔・ジッグラトが存在していました。ジッグラトは崩壊していますが、現在でも24.75mもの高さがあります。

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スーサ

スーサ
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イラン南西部にあるフーゼスターン州のシューシュは、かつてスーサと呼ばれ、紀元前4500年前から都市が存在したというほどに歴史の深い都市。街の中心部シャブール川の東側に丘があり、ここにはかつて存在していた都市の遺跡があります。

ここはエラム王国、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など、13世紀までの都市遺跡が層を成していて、さまざまな時代の建築物や宮殿、住居などが発掘されています。

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シャフリ・ソフタ

シャフリ・ソフタ
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アフガニスタンとの国境に面したスィースターン・バルーチェスターン州にある日干し煉瓦の都市遺跡は、シャフレ・ソフタと呼ばれ、イラン東部でも最初期の都市であり、繁栄した文明が存在したと考えられています。

ここは紀元前3200年ころに誕生してから、紀元前1800年頃までに4つの段階で人口が増加したものの、最終的には水路の迂回や気候変動によって都市は放棄。しかし、砂漠地帯にあったため、保存状態は良好です。

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パサルガダエ

パサルガダエ
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パサルガダエは「ペルシャ人の本営」という意味で、現在のイラン南西部のファールス州に造られました。最も有名な遺跡であるペルセポリスから北東87Kmに位置しており、アケメネス朝の最初の首都となった場所でもあります。

ここは紀元前6世紀に建造された都市で、宮殿や庭園、霊廟など、ペルシャ帝国初期の建築技術の基礎が見られます。最も有名なのは、アケメネス朝ペルシャの創設者・キュロス2世の墓。

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ペルセポリス

ペルセポリス
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ペルセポリスは、イラン南部のファールス州の高原に位置する広大な遺跡。ここは紀元前518年にアケメネス朝ペルシャの王・ダレイオス1世によって築かれた宗教都市でした。

広大な領土を持ったアケメネス朝が築いた都市だけあって、敷地には豪華な宮殿が建設されました。現在はほとんどが崩壊してしまいましたが、壮麗なレリーフや門、宮殿跡などからは当時の様子がイメージできるほど。

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ベヒストゥン

ベヒストゥン
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イラン西部のケルマンシャー州に位置する遺跡で、60mもの石灰岩の崖に多言語の碑文が刻まれたもの。ここはイラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、遺跡は先史時代からアケメネス朝とそれ以降のものも含まれていますが、主に紀元前6世紀から紀元6世紀までの遺構が多いというのが特徴。

その中でも紀元前521年に建造のダレイオス1世が王位に付いたことを記念した碑文とレリーフが有名。

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タフテ・ソレイマーン

タフテ・ソレイマーン
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イランでも最も西部にある西アーザルバーイジャーン州のタフテ・ソレイマーンは、火山地帯にある谷間に位置しています。ここは約2500年に渡って使用されたゾロアスター教の聖地であり、拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)が置かれた重要な場所でもありました。

タフテ・ソレイマーンに築かれた神殿と宮殿は、イスラム時代の建築物に大きく影響を与えています。

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ファールス地方のサーサーン朝考古景観

ファールス地方のサーサーン朝考古景観
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ファールス州はイラン南部に位置していて、ファールスは「ペルシャ」の語源ともなっており、紀元前1000年頃に現在のペルシャ人のルーツである民族が進出した地。ここにはサーサーン朝ペルシャ時代(224〜651年)の3つのエリアにある8つの考古学遺跡が残っています。

登録エリアは王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世が築いた都市や建造物が点在。現在も残る建造物は自然の地形を利用していて、ローマ帝国や過去の王朝であるアケメネス朝やパルティアなどの文化的影響を受け、イスラム時代にも影響を与えたもの。

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バムとその文化的景観

バムとその文化的景観
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イラン南東部にあるケルマーン州。イラン高原の南部に位置する高原都市であるバムは、山々に囲まれた谷に築かれた都市。カナートという地下水路を使用した水が流れ込む地であるため、周囲は豊かな土壌でもありました。

ここは7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地となり、絹と綿の衣類の生産で繁栄。街の北東部にあるアルゲ・バム(バム城塞)は9世紀に建造され、周囲の中世の要塞建築の中でも代表的なものでもあります。

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ゴンバデ・カーブース

ゴンバデ・カーブース
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トルクメニスタンの国境沿いに広がるゴレスターン州にあるゴンバデ・カーヴース。ここはシーア派のイスラム王朝ズィヤール朝(927〜1043年)の首都ジョルジャーンの近くにあった場所で、53mの塔はゴンバデ・カーヴースと呼ばれます。

これは11世紀にズィヤール朝4代目の君主カーブース・ブン・ワシュムギールが建造したもの。その革新的な建築様式は周囲のイスラム国家の建築物に影響を与えるほどの傑作でもあります。

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世界遺産マニアの結論と感想

イランはもともとはペルシャと呼ばれていて、国中にかつての繁栄が見られる遺跡が多く並んでいます。なんとなく知っている遺跡が実はイランだった…ということも!ぜひディープに楽しんでくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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