登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2024年 |
中国の首都・北京の旧市街は元(1271〜1368年)の時代に築かれ、明(1368〜1644年)と清(1636〜1912年)の時代に発展し、800年に渡って開発が行われてきました。旧市街は北京の中心軸として、首都の傑出した例であり、中国の都市開発の古典的なモデルとなっています。
ここでは北京の中心軸がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、北京について詳しくなること間違いなし!
北京の中心軸:中国の首都の理想的秩序を示す建築物群とは?
北京における「中心軸」というのは、旧市街でも南方に位置する永定門から北へ、正陽門、天安門広場、紫禁城、景山を通る、約7.8kmの範囲を示します。この軸は、北京の旧市街の中心であり、宮殿や祭壇、祭壇、市場、街路、鐘楼、鼓楼、さらには1949年に建設された天安門広場などが集まるエリア。
は現在の北京のルーツは、元の時代に大都と呼ばれた都市に遡ります。もともとこの地に太古から都市が存在していましたが、元はモンゴル帝国にルーツを持つ王朝であったものの、彼らは中国の伝統文化に基づいた都市計画を行いました。明代になると、元時代の王宮があった場所を破壊し、新たに紫禁城を建設。そして、紫禁城の北に人工の山・景山を建造し、さらに都市は南に拡大し、皇帝の祈りの場であった天壇が加えられ、旧市街南の入口である永定門まで広がっていきました。
紫禁城の南にある天安門は、近代になると改修され、北京の中心部である天安門広場へと変化。ここは過去8世紀に渡って中国社会の変化を目撃していて、都市景観の歴史的発展が見られるもの。
登録されている構成資産
永定門
明時代の1553年に建設が始まり、市街の城壁が南に拡大すると、最南端に築かれた門。ここは「永遠に安定する」という意味で、永定門と名付けられました。外城の中でも最も大きな門で、清の時代になって増築が続けられました。
詳細はこちら↓
天壇(個別で世界遺産に登録)
永定門の北東に位置する天壇は、15世紀に築かれた皇帝の祭祀施設。天壇は皇帝が自ら祈り、天に報告する場所でもありました。
天壇は、南から圜丘壇、皇穹宇(こうきゅうう)、祈年殿の3つで構成され、空に向かって続いていました。三層の屋根を持つ円形の記念殿は、東アジアの建築に影響を与えたもの。
詳細はこちら↓
天安門広場
紫禁城の第一門であり、門としては1651年に築かれたもの。もともと、この位置には1417年に永楽帝によって建造されたものの、その後、2回ほど焼失したために再建。ここは政府から法律や命令が発表されたり、凱旋した軍隊と皇帝が謁見する場でもありました。
1949年に毛沢東が中華人民共和国の建国宣言をこの門で行ったためにここは中国のシンボルとなりました。とはいえ、現在の門は1970年に再建されたもので、楼閣部分の一部には古材などが使用されているものの、実は現代建築でもあります。門の前の広場は1954年に建造され、広場の周囲には人民大会堂や中国国家博物館なども併設。
詳細はこちら↓
紫禁城(個別で世界遺産に登録)
紫禁城は、72平方kmの面積を誇る世界最大の木造建築物。この場所にはもともと元の時代に宮殿があり、1406年に明の永楽帝が元の宮殿を改築し、1421年に現在の南京から都を移すとここを皇宮として使用。その後は、明代から次代の王朝である清朝が滅亡するまでここが皇宮となりました。
現在は「故宮博物院」として博物館となっています。「故宮」とは、古い宮殿という意味で、これは後年にこのように呼ばれたもの。もともとは紫禁城と呼ばれていました。
詳細はこちら↓
景山
紫禁城の裏側に広がる人工の山。もともとは元の宮殿の跡地に、堀を建造した際に余った土を使用して形成されたもの。これは背山面水という風水の思想によって築かれ、中心軸の最も北に配置されました。
詳細はこちら↓
北京の中心軸:中国の首都の理想的秩序を示す建築物群はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
北京の中心軸が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
北京の中心軸とその周辺地域は、宮殿や官庁、寺院、祭壇、邸宅、城門など、壮麗な建築物が並び、中国の祭祀、文化、習慣、風水などの多様性が見られ、社会だけでなく、文化としての価値が今でも生き続けているということ。
登録基準(iv)
中国の都市計画は、「天地の観察」、「儀式」、「自然景観を合わせた設計」という3つの概念があります。北京は北極星の真下に築かれ、まさに「天地の観察」を反映し、宮殿や市場、西側に祖先の祠、東側に祭壇などの都市計画は伝統的な「儀式」の影響が示していて、中心軸には自然環境との調和が見られ、合理性が反映されたもの。これらは伝統的な中国の哲学が見られ、1000年に渡る中国の首都計画の発展がよく保存された例であり、明と清の時代の首都の設計と建築物の頂点であり、東洋における都市計画の傑出した例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
北京の中心軸は、中国伝統の都市計画が実現され、中心に沿って宮殿や祭壇、庭園、公共施設などが揃っていて、中国の哲学などが見られるもの。そして、北京は中国の理想的な都市計画が反映された最高の都市であり、現在でも存続しているという点で評価されています。
ちなみに、天安門が紫禁城の正門のイメージがありますが、かつてはそうであったものの、現在は第一門という存在であり、正門はその背後にある第二門の午門ということになっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。