近年の世界遺産は構成資産が多いということもあって登録名が地名だけではなく、「テーマ」を含めることから、とにかく長くなりがちです…。そこで「ひたすら登録名が長い遺産」がどんなものか見てみませんか?
ここでは、登録名が長過ぎる遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
グアラニーのイエズス会伝道所群 : サン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡(ブラジル)
とにかく、建物の名前をすべて世界遺産名に入れてしまったために、すごく名前が長くなってしまったパターン。ブラジルとアルゼンチンの国境沿いの密林には、17〜18世紀にかけてヨーロッパから先住民のグアラニー族へキリスト教の伝道にやってきたイエズス会による伝道所(レドゥクシオン)があります。
ヨーロッパからこの地を訪れたイエズス会は彼らと共同生活を送りながら伝道を続けました。現在では遺跡となってしまいましたが、伝道所はは牧場や畑、水路など、かつての集落の機能を持つように設計されているというのが特徴。
※下記の記事のタイトルは、あまりにも長いので正式名の翻訳は入れておりません…
詳細はこちら↓
パエストゥムとヴェーリアの考古遺跡群やパドゥーラのカルトゥジオ修道院を含むチレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園
これも構成資産の名前が統一できず…仕方なく、登録された構成資産を入れてしまうというケース。ヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園は、イタリアの南部にあるカンバニア州サレルノ県内にある広大な公園。ここは山岳地帯となっていて、海岸沿いは断崖が広がる険しいエリアでもあります。
公園にはギリシャの植民都市であったパエストゥムやヴェーリア、そして、パドゥーラにあるサン・ロレンツォ修道院などがあり、それぞれが世界遺産に登録されています。
詳細はこちら↓
グリーンランドのグヤダー:氷冠縁辺部における古代スカンジナビア人とイヌイットの農業景観
特に文化的景観系の遺産は名前も複雑になってしまう傾向にあるのです。グヤダーとは「東入植地」という意味で、10世紀に「赤毛のエイリーク」に率いられたノース人(古代スカンディナヴィアの人)がアイスランドから到達すると、彼らはここで定住を始め、亜寒帯のこの地で放牧と農業をしながら15世紀に放棄するまで暮らしていました。
遺跡は18世紀から続くイヌイットの狩猟・農耕民の文化も分かり、ここでは2つの民族による文化が合わさった、農業や放牧、海洋哺乳類の狩猟などを含めた文化的景観が見られ、これは北極圏にもたらされた農業の導入とノース人の入植地の拡大を示しています。
詳細はこちら↓
アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒーリー、ビダー・ビント・サウドとオアシス群)
これも構成資産をすべて入れてしまって、長くなっているケース。アルアインは、オマーンの国境沿いにあるアブダビ首長国でも第2の規模を誇る都市です。ここは歴史が古く、新石器時代から人々が暮らす地で、特に青銅器時代や鉄器時代の遺構が多く点在。
これらは西はメソポタミアから東はオマーンまで、古代文明の交差点であり、狩猟採集から農業へと至る、人類が定住化したことを示すもの。
詳細はこちら↓
人類の進化を示すカルメル山の遺跡群:ナハル・メアロット(ワディ・エル=ムガーラ)の洞窟群
登録名が長くなるのは、このようにヘブライ語とアラビア語の2つの名称が入ってしまうなど、名称がいくつかあるパターン。カルメル山とはイスラエル北部に位置し、南北39kmにも広がる丘陵地帯のこと。かつてこの地はアフリカからユーラシア大陸の玄関口でもあり、丘の西側には旧石器時代前期から現代まで50万年に渡って人類の進化を示す遺跡が点在。
ここにはネアンデルタール人や旧石器〜中石器時代の洞窟が並び、これらは狩猟採集生活から農業や牧畜への移行期を示すもの。
詳細はこちら↓
ブラジルの大西洋上の島々:フェルナンド・デ・ノローニャ諸島とロカス環礁の保護区群
これも地名が長過ぎるため…どうしても登録名が長くなるケース。ブラジル本土から約340kmの距離にある「フェルナンド・デ・ノローニャ国立海洋公園」は、海底山脈の頂上部にあるフェルナンド・デ・ノローニャ島を中心に約21の群島と小島、周辺約100平方kmもの広大な敷地で構成。
最大の島フェルナンド・デ・ノローニャを中心とする島々は、イルカが非常に密集して生息していることで有名で、ロカス環礁はラグーンが多くあり、干潮時は美しい景観が見られます。
詳細はこちら↓
ラ・ルヴィエールとル・ルーにあるサントル運河の4つのリフトとその周辺 (エノー州)
地名が多い上に構成資産を多くまたがると、どうしても長くなる傾向にあります…。サントル運河はベルギー南西部のエノー州にあり、ラ・ルヴィエールとル・ルーにあるチューという2つの街を結ぶもの。
エノー州は石炭が豊富であったのですが、これらをドイツやフランスへと運ぶ水路は存在しておらず、ムーズ川とエスコー川という他国へと続く川へと結ぶために1884年から採掘が始まり、1888年に1つ目のウドン=ゴウニーのリフトが完成すると、残り3つのリフトは1917年に完成しました。
詳細はこちら↓
メルカ・クントゥレとバルチット:エチオピア高原地域の考古学的・古生物学的遺跡
とにかく、説明を入れないと不安になるのか…このように補足的に長くなるパターンもありますね。エチオピア中心部にあるメルカ・クントゥレとバルチットは、首都アジス・アベバから南方へ約50kmの距離にある遺跡。ここは標高約2000mの高地にあり、エチオピア東部を流れるアワッシュ川の上流に位置しています。
この地には先史時代の化石や石器などが埋まっていて、これらは170万年前に現人類が高地に適応しながら居住したことを示す証拠でもあります。
詳細はこちら↓
サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産
一つに遺産が登録された後、さらに追加で登録されると長くなってしまったのがここ。フランス東部のドゥー県に位置するアル=ケ=スナンには、1982年に世界遺産に登録された製塩所があります。王室建築家クロード・ニコラ・ルドゥによって18世紀に設計され、円形に施設を配置して効率化を目指した革新的なデザインで後の工業都市のモデルになったもの。
2009年に拡大登録されたサラン・レ・バン製塩所はその歴史は中世以前に遡り、1962年に活動を停止するまで、少なくとも1200年もの歴史を誇るもの。サラン・レ・バンの近郊の地下水は塩分濃度が高く、中世以前は貯水槽に地下水を入れて薪を燃やして蒸発させるという方法が採用されていました。
詳細はこちら↓
カルヴァリア・ゼブジドフスカ:マニエリスム建築と公園が織りなす景観と巡礼公園
このように副題が付いてしまうと、どうしても長くなってしまう傾向に…。ポーランド南部のマウォポルスカ県にある町カルヴァリア・ゼブジドフスカは、この地方の中心都市であるクラクフの南西に位置しています。町はクラクフのヴォイヴォダ(領主)であったニコライ・ザブジドフスキによって17世紀に設立。町の南部のツァー山には、イエス・キリストの受難の地であるゴルゴダの丘を模して、聖十字礼拝堂が建造されます。
やがて町には教会や礼拝堂が多く建造され、曲線を多用したマニエリスム様式の建造物が自然環境の中に点在するというのが特徴です。
詳細はこちら↓
世界遺産マニアの結論と感想
最近の世界遺産は、テーマが複雑だったり、構成資産が多かったりして、とにかく登録名をまとめるのが難しいのか…ひたすら長くなってしまうケースも。特に地名が長いパターンはキツイですね!特に世界遺産検定を受ける方はこの長い遺産名に苦しめられたことがあるハズ。とはいえ、これらも覚えなくてはいけないので、逆に「とにかく名前が長い遺産」というイメージで覚えてみるのはいかが?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。