オランダはヨーロッパの北西部にあるチューリップの生産で有名な国。国土の4分の1が海面より低いということもあり、水路や運河も多く、一部は世界遺産として登録されています。ところでオランダの世界遺産はいくつあるでしょうか?
ここでは、オランダの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
スホクラントとその周辺
スホクラントはフレヴォラント州の北東ポルダーと呼ばれる干拓地であり、行政地区の中の一部が世界遺産に登録。ここは先史時代から人間が住んでいて15世紀まで半島ではあったものの、海水の浸水によって島となってしまい、19世紀に集落は放棄。
しかし、1932年にゾイデル海をアフシュライトダイク(大堤防)で淡水湖にすると、水没した地は農業用地へと干拓され、新しい州・フレヴォラント州となりました。
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オランダの水利防塞線群(アムステルダムの防塞線)
首都アムステルダムを防衛するために、1874年に防塞線建造のための法律が成立すると、1880年から1920年にかけて、中心部から10〜15kmの距離に街全体を囲む堤防が築かれ、これらはすべて繋げると全長135kmにもなる巨大なものでした。そして、その中に要塞が築かれ、合計で42もの要塞が現在も残っています。
これらはオランダ特有の治水技術を利用された軍事施設であり、水門を開くと、堤防の外側から水を浸水させて、敵の侵入を防ぐというもの。
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キンデルダイク=エルスハウトの風車網
オランダ南部ロッテルダムから南東約13kmの位置にあるキンデルダイク。古くからオランダの人々は浸水に悩まされており、農業のため排水するという行為は何世紀にも渡って行われました。その問題を解決するのが風車の建設だったのです。
キンデルダイクでは、現地に住む人々が排水と農業のために作り出した19基の風車が残っています。
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キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区
キュラソー島は、カリブ海の南部に位置するオランダ王国の構成国の一つ。首都ウィレムスタットは、1634年に当時ここを支配していたスペインから奪取し、島の東側に位置するセント・アナ湾に建造された要塞が起源。その周辺に作られた町が現在のプンダと呼ばれる歴史地区です。
街にはオランダの建築物をベースにた、キュラソー(クラサオ)・バロック様式のカラフルな建物が今でも多く並んでいます。
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Ir.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)
フリースラント州にあるレメルには、1920年に開設された世界最大規模のポンプ式の排水施設があります。当時は国内でも約700箇所にポンプ場がありましたが、4基の蒸気エンジンが並ぶというポンプ場はその技術の集大成的存在であり、当時は世界最大規模であり最先端の技術でした。
機械室や回廊のインテリアはエンジニアと建築家によって築かれ、インダストリアルデザインとしても優れたもの。
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ベームスター干拓地
オランダ北西部・北ホランド州にあるベームスター干拓地は、1612年にかつて存在していた内海・ベームスター湖を風車で排水して、新しい農地や居住地として作られた開拓地。
ここは内海を5年もの歳月をかけて排水用の風車で干拓して形成された農地で、運河や堤防、道路など計画的に配置され、その景観を現在に残すもの。
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リートフェルトのシュレーダー邸
オランダ中部の都市・ユトレヒト。シュレーダー邸はユトレヒトの郊外に位置し、20世紀の新興住宅街の端にポツンと存在する邸宅。ここはユトレヒトの銀行家の未亡人であったシュレーダー夫人の依頼により、建築家ヘリット・リートフェルトが1924年に築いた邸宅。
リートフェルトは1920年代にオランダで流行する新造形主義「ザ・ステイル」に属する建築家で、これは彼の代表作でもあります
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ワッデン海(ドイツ・デンマークと共同)
ワッデン海とは、オランダ北部のデン・ヘルデルから、ドイツの沿岸を経由してデンマークのエスビャウまで広がる約500kmの海域のこと。ここは塩の干満によって形成される砂州や湿原などが広がるエリアで、ゼニガタアザラシやハイイロアザラシなど、数多くの海洋哺乳類が見られることで知られます。
オランダでは、「ワッデン海保全地域」が登録されています。
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アムステルダムのシンゲル運河の内側にある17世紀の環状運河地域
オランダの首都アムステルダムは、優れた運河のネットワークがあることで有名ですが、これは16世紀の終わりから17世紀に、当時の街を取り囲んでいたシンゲル運河(ジンフェルグラハト)まで拡張するように計画されたもの。
アムステルダムの都市計画は他の都市でも採用され、19世紀まではアムステルダムがモデルとなっていたという点でも優れた都市開発だったのです。
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ファン・ネレ工場
オランダ第2の都市ロッテルダムには、1925〜1995年まで操業されたファン・ネレ工場があります。ここは1920年に建設が始まり、1931年に竣工し、たばこ、コーヒー、紅茶の販売を行っていたファン・ネレ社の工場として建造。
ここはガラスと鉄で作られたカーテンウォールなど、快適な労働環境を整えた理想の工場として、モダニズムと機能主義のシンボル的存在でもありました。
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慈善の集団居住地群(ベルギーと共同)
オランダとベルギーには、「慈善の集団居住地」と呼ばれる入植地があり、これは19世紀の貧民層の人々への救済措置として建設されたもので、社会改革の一環として荒れ地を開墾して作られた農業開拓地でもありました。
この取り組みは20世紀まで続きましたが、現在の開拓地は通常の「農村」として残っています。開拓地はオランダに2箇所あり、それぞれが世界遺産に登録。
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ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメス(ドイツと共同)
リーメスはラテン語で「国境」を示すもの。現在ではおもに長城を示すことが多い傾向にあります。現在のオランダ・ドイツにまたがる遺産となっていて、南はドイツ中部の都市ボン付近からライン川の左岸に沿って、北海沿岸までローマ帝国の国境線が約400kmも続いていました。
要塞や塔、港、集落、宗教施設などが国境線沿いに点在していましたが、ほとんどが地下に埋没してしまいました。しかし、結果的に保存状態は良好。
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王立エイセ・エイシンガ・プラネタリウム
オランダ北部フリースラント州のフラーネカー市には、現代も作動する世界最古・最大の機械式プラネタリウムがあることで有名です。ここでは天井に太陽系の模型を造り、太陽を中心に歯車の回転によってアームに付けられた惑星の模型を回転させるという構造。
これは18世紀の啓蒙主義時代に、アマチュアの天文学者エイセ・エイシンガ(1744〜1828年)によって建造されたもので、当時の国王や学者たちが絶賛するほどに優れたプラネタリウムでした。
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世界遺産マニアの結論と感想
オランダは文化遺産が10件、自然遺産が1件と合計で11もの世界遺産が登録。ネーデルランド(低地の国)という国名だけに低地が多いため、古くから水害に悩まされていたこともあり、開拓地や運河などの世界遺産が多いというのが特徴です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。