南米の遺跡といえば、なんといってもマチュピチュが有名ですが、それだけではなく、世界遺産に登録された遺跡は各地にたくさん!そして、インカ帝国以前の古代遺跡は各地で発見されていて、失われた南米の歴史を今に伝えています。
世界遺産として登録されている南米の遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
マチュ・ピチュの歴史保護区/ペルー
ペルーの東側、アンデス山脈とアマゾン盆地の間に位置するマチュ・ピチュの都市遺跡。マチュ・ピチュとは、ケチュア語で「年老いた峰」を意味していて、隣のワイナ・ピチュ(若い峰)の間に築かれた都市遺跡一帯を、一般的に「マチュ・ピチュ」と呼びます。
なぜ建設されたかは今でもはっきりしないのですが、敷地内に残る巨大な神殿や灌漑施設などは、インカ帝国の技術力の高さが伺えるもの。そして、周囲は手つかずの自然が残されていて、絶滅危惧種を含む動植物も見られるため、複合遺産として登録されています。
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クスコ市街/ペルー
クスコは標高3400mもの位置にある高原都市。13世紀になると、インカ帝国の前身となるクスコ王国が開かれ、ここが首都となりました。しかし、16世紀にスペイン人征服者によって街は破壊。
インカの築いた建造物は、石積みがあまりにも精巧で、土台部分は破壊できず、そのまま利用することに。よって上部はスペイン風の建造物なのに対し、基礎部分はインカ時代の石積みの土台という独自の建築様式になりました。インカ帝国の石積み技術は、大地震が発生しても壊れることがなく、カミソリ一つも入らないほど精巧な造り。
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ナスカとパルパの地上絵/ペルー
ペルー南部のイカ県に位置する小さな町ナスカ。ここはペルーの南海岸に貫く丘陵地帯とアンデス山脈の間にある盆地。町の郊外には紀元前2世紀〜後6世紀に描かれたという地上絵があります。
地上絵があるエリアは約450平方kmもあり、ここにはなんと1500以上の地上絵が残存。そして、ナスカの地上絵の北側にはパルパというもう一つの地上絵が点在するエリアも広がっています。
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神聖都市カラル=スーペ(カラル遺跡)/ペルー
首都リマから北西へ約140kmの位置にあるカラル=スーペは、乾燥した砂漠地帯を流れるスーペ川の渓谷沿いに築かれた都市。紀元前3000〜紀元前2000年ころに設立されたとされるほどに古く、ここは500年ほど人が住んでいたとされ、アメリカ大陸でも最古とされる文明の一つ。
ここには巨大なピラミッドやキープと呼ばれる組み紐も発見されていて、優れた文明を持つ国家であったという証拠を残しています。
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チャビンの考古遺跡(チャビン・デ・ワンタル)
チャビンの考古遺跡(チャビン・デ・ワンタル)は、ペルー中央部のアンカシュ県ワリ群にある遺跡。ここはペルーの首都リマから北へ約250kmの山奥にあります。チャビン文化は、紀元前10世紀〜紀元前3世紀に栄えた文明で、チャビン・デ・ワンタルは当時のアンデスの宗教の中心地であり、巡礼地でもあったと考えられます。
ここはアンデス文明の起源ともされる場所で、敷地内には正方形の神殿があり、最奥部にはジャガーを擬人化した主神体ランソン像があります。
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リオ・アビセオ国立公園/ペルー
ペルー北部にあり、アンデス山脈の東斜面に広がる広大な公園で、合計で2745平方kmにも及ぶほど。ここはアマゾン川の支流であるマラニョン川とワジャガ川に挟まれた地で、人がほぼ住むことがない雲霧林を保護しています。
標高2500〜4000mのアンデス山脈の急斜面には紀元前6000年前から人が住んでいたとされていて、その住居遺跡には紀元前10世紀〜紀元16世紀頃まで人が暮らしていたと考えられています。ここには36もの遺跡があり、高山の草原地帯には29ヶ所、森林地帯には7ヶ所点在しています。
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チャンキーヨの天文考古学遺産群/ペルー
ペルー北西部にあるアンカシュ県。カスマ・セチン盆地にある沿岸砂丘の遺跡はチャンキーヨと呼ばれていて、ここには要塞や13基の塔、観測所が残っています。
13基の塔は南北に並べられていて、その両端には観測所があり、1年を通じて太陽がどの塔から昇るかを地平線を観測し、太陽周期から暦を数えていました。これは現在の太陽暦と1〜2日しかずれていなかったというほどに正確なもの。
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チャンチャン遺跡地帯/ペルー
ペルー北西部ラ・リベルタ県のトルヒーリョ市郊外にあるチャンチャン遺跡。ここは複数の川の流域のある肥沃な土地で、かつて約1000kmもの海岸線を支配し、最盛期に人口が約10万人もの人口を誇ったチムー王国の首都でもありました。
遺跡にはアドベ(日干しレンガ)の高い壁で築かれた「シウダデラ」と呼ばれる方形の区画が今でも残っていて、これは都市機能が分割されていたということを残す証拠でもあります。
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サマイパタの砦/ボリビア
サマイパタの砦は、ボリビア東部・サンタクルス県の南西部に丘の上に残る遺跡。ここは東西250m、南北60mほどの大きさの遺跡となっていて「砦」とはいうものの、儀式などを行う宗教施設と行政施設、居住区などがあった宗教都市であったとされています。ここはインカ帝国以前に先住民によって高度な文明が存在した証拠であるのが特徴。
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ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地/ボリビア
ティワナクはボリビア西部、標高3850mにあるチチカカ湖の南側に位置する小さな町。この町にはかつてインカ帝国以前に南米で繁栄したティワナク文明の都市遺跡が存在します。彼らは文字を残していないため、詳しいことはわかっていませんが、最盛期は6〜10世紀だと考えられています。
ここに住む人々は12世紀には姿を消しましたが、遺跡はアカパナというピラミッド跡や一枚岩で築かれた太陽の門などが残り、高度な石加工の技術を持った文明だったと推測されています。
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カパック・ニャン アンデスの道/コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン
カパック・ニャンは、インカの人々によって数百年にも渡って築かれ、北からコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる3万kmの街道。ここは約6000m級の山々、熱帯雨林、渓谷、砂漠などを通る、世界でも最大規模の道路網でもあります。
カパック・ニャンはインカ帝国の首都であったペルーの都市・クスコの広場から、東西南北に延びる4つの道が主要道路で、インカ道はその主要道路を細かくカバーするようになっていました。
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ピントゥーラス川のクエバ・デ・ラス・マノス/アルゼンチン
アルゼンチン最南部のサンタ・クルス州。ピントゥーラス川沿いの渓谷には洞窟があり、ここでは紀元前1万1000年前から紀元700年まで岩絵が描かれました。
その中でも最も個性的なのがクエバ・デ・ラス・マノス(手の洞窟)。洞窟の深さは24mで高さは10mほど。ここはパタゴニアの先史狩猟採集社会のルーツだと考えられている場所。
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ケブラダ・デ・ウマウアカ/アルゼンチン
アルゼンチン北部に位置するフフイ州は、ボリビアとチリとの国境の近く、アンデス山脈に中でも高原地帯からグランデ川に浸食されたケブラダ・デ・ウマウアカ(ウマウアカ渓谷)が155kmも続くというエリア。
ここには先史時代の集落跡やインカ帝国時代の要塞などの遺跡が残り、この地が1万年に渡って交易路として繁栄したということを示す文化的景観が見られます。
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グアラニーのイエズス会伝道所群/ブラジル・アルゼンチン
ブラジルとアルゼンチンの国境沿いの密林には、17〜18世紀にかけてヨーロッパから先住民のグアラニー族へキリスト教の伝道にやってきたイエズス会による伝道所(レドゥクシオン)があります。
もともとはブラジル側の伝道所だけの登録でしたが、1984年にアルゼンチン側のサン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・マジョールの4つの伝道所跡も追加で登録。
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セラ・ダ・カピバラ国立公園/ブラジル
ブラジル北東部のピアウイ州に位置する国立公園で、約1291平方kmに及ぶ広大な面積が登録されています。ここはカーチンガと呼ばれる熱帯半乾燥気候に分布する有刺灌木林(トゲがある木々)が広がる地で、5〜12月の乾季は木々が枯木になるという場所。
ここには2万5000年以上前の先史時代の洞窟壁画が多く点在し、その数は世界でも最大規模。そして、南アメリカでも最も古い人類の定住地であるとされています。
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ヴァロンゴ埠頭の考古遺跡/ブラジル
リオデジャネイロのセントロ地区北部にあるジョルナル・ド・コメルシオ広場。現在は埋め立てられてしまいましたが、ここは以前リオの港であった場所で、地下にはヴァロンゴ埠頭という当時の石造りの埠頭が残っています。
埠頭は90万ものアフリカ人奴隷が通ってきた場所とされ、最下層のペ・デ・モレク様式が本来の埠頭の姿であると考えられています。
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アリカ・イ・パリナコータ州におけるチンチョーロ文化の集落と人工ミイラの製法/チリ
チリ北部、アリカ・イ・パリナコータ州に点在する3つの遺産で構成されています。登録されているのはアタカマ砂漠が広がるエリア。
チンチョーロ文化とは紀元前7000年から紀元前1500年までの間、この地で漁業と狩猟を中心に暮らしていた人々の文化。この文化の特徴は世界でも最も古い「人工ミイラ」が作られていたという点で評価されています。
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ラパ・ヌイ国立公園(イースター島)/チリ
イースター島は、チリから東へ約3000kmも離れた絶海の孤島にあり、島全体がラパヌイ国立公園として登録。島にポリネシア人が住み着いた時期については諸説ありますが、7〜8世紀頃にアフと呼ばれる石の祭壇が建造されるように。そのアフの上にモアイ像が作られ始めたのは10世紀頃と考えられています。
やがて島内にはほぼ住民はいなくなり、900体ものモアイだけが残りました。現在は独特の景観が見られるということで、モアイは貴重な観光資源になっています。
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ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道所群/パラグアイ
北はブラジル、南はアルゼンチンとの国境ともなっているパラナ川沿いには、17〜18世紀にかけてヨーロッパから伝道のために訪れたイエズス会によって設立したレドゥクシオン(伝道所)が30も並んでいたとされています。
その中の7つはパラグアイにあり、ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲの2つのレドゥクシオンが世界遺産に登録。これらは先住民の伝統建築に、キリスト教やバロック様式、ロマネスク様式、ギリシャなどの建築要素が加えられたもの。
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サン・アグスティン考古公園/コロンビア
コロンビア南西部のウイラ県にあるサン・アグスティン考古公園は、アンデス山脈の中腹に位置する遺跡で、3つのエリアで構成されています。遺跡は18世紀にスペイン人宣教師に発見され、先コロンブス期に築かれた石の彫像、墳墓、小神殿などが見られるというのが特徴。
ここには小神殿や墳墓、合計で400もの石像が並んでいて、特に石像は神や動物、空想上のものがモチーフで5世紀ころから建造されたとされています。これらは宗教的なモニュメントであると考えられますが、詳しいことはまだ不明。
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ティエラデントロの国立遺跡公園/コロンビア
「ティエラデントロ」とは「中の土地」という意味で、この地を訪れたスペイン人によって名付けられました。コロンビア南西部にあるカウカ県に位置するティエラデントロの国立遺跡公園は、7〜10世紀に先住民族によって建造された円形の巨大な地下墓室がいくつか点在。
その中でも最大の大きさを誇るセゴビアの円形墓地は直径12mにも及び、天井や壁には幾何学模様や動物、人間のモチーフとなった図が見られ、プレ・インカの失われた文化を現在に伝えます。
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ヨーデンサヴァネの考古遺跡 : ヨーデンサヴァネの入植地とカシポラクレークの共同墓地/スリナム
ヨーデンサヴァネはスリナム北部のパラ地方にあり、スリナム川沿いに位置する集落遺跡。ここは「ユダヤ人のサバンナ」という意味の17世紀に開拓されたユダヤ人による入植地であり、19世紀には放棄されました。
現在はシナゴーグや墓などの遺構が残り、ユダヤ人によるアメリカ大陸の植民地での暮らしが見られる場所でもあります。
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世界遺産マニアの結論と感想
南米の遺跡はマチュピチュだけではない!各地に残る遺跡は謎が多く、まだまだ分からないものもありますが、ヨーロッパ人が到達する前の人々の暮らしを「記憶」したもの。あれこれ予測しながら、その謎解きが楽しめるというのが南米の遺跡の魅力でもあります。ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。