世界遺産に登録されているドイツの遺跡はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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現在のドイツに人類が暮らし始めたのは70万年前とされ、古くから文明が発展してきたエリアでもありました。ローマ時代は「ゲルマニア」と呼ばれた、ゲルマン人の居住地であり、反乱などを牽制するため、城壁や要塞などが建造され、その跡は現在でも残されています。

そんな中、ドイツで世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。

目次

シュヴァーベンジュラにある洞窟群と氷河期の芸術

シュヴァーベンジュラにある洞窟群と氷河期の芸術
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シュヴァーベンジュラ山脈の渓谷に位置する6つの洞窟は4万3000年前に現生人類がヨーロッパに初めて到着した場所で、彼らが暮らした地でもありました。1860年代から発掘が始まり、ここはネアンデルタール人も住んでいたことも確認できるほど古いもの。

世界遺産に登録されている6つの洞窟では、4万3000年〜3万3000年前の遺物、特にオーニャック文化(旧石器時代後期の文化)に属する彫像などが発見され、これらは世界で最も古い造形美術でもあります。

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トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会
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ルクセンブルクとの国境も近いラインラント=プファルツ州にあるトリーアは、モーゼル川の上流に位置し、かつてはローマの植民都市「アウグスタ・トレウェロールム」と呼ばれていました。やがて「第2のローマ」とされるほどに交易の中心地として繁栄。

町には「黒い門」という意味のポルタ・ニグラとローマ皇帝の宮殿跡であったアウラ・パラティナなどが残り、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂はローマ時代の聖堂を改修したもの。

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ローマ帝国の国境線(イギリスと共同)

ローマ帝国の国境線(イギリスと共同)
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ブリテン島北部にローマ人によって築かれたハドリアヌスの長城は、約118kmもの長さで北方民族の襲撃に備えて築かれたもの。ゲルマン民族の襲撃に備えて建造された、現在のドイツのライン川とドナウ川を結ぶ約500kmのリーメスも合わせて登録。

これは約580kmにも渡って続くもので、83年にローマ皇帝ドミティアヌスによって建設が始まり、2世紀末まで改築されつつ維持されていました。現在は総距離の3割程度の遺構が残っていて、約900ヶ所もの物見櫓や60以上の城砦が確認されています。

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ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分)(オランダと共同)

ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分)(オランダと共同)
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リーメスはラテン語で「国境」を示すもの。現在ではおもに長城を示すことが多い傾向にあります。これらは現在のオランダ・ドイツにまたがる遺産となっていて、南はドイツ中部の都市ボン付近からライン川の左岸に沿って、北海沿岸までローマ帝国の国境線が約400kmも続いていました。

ここはローマ帝国の属州ゲルマニア・インフェリオルの領土だった場所で、北方のゲルマン人を牽制するために、要塞や塔、港、集落、宗教施設などが国境線沿いに点在していましたが、ほとんどが地下に埋没してしまっています。

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ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメスローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメス(オーストリア・スロヴァキアと共同)

ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメスローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメス(オーストリア・スロヴァキアと共同)
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ローマ帝国の北側の国境であるドナウ川沿いには、リーメスが建設され、見張り台や砦、軍駐屯地などが加わり、強化されていきました。もともとのリーメスは土の堤防だけ築かれたものでしたが、2世紀のトラヤヌス帝の時代になると石で囲まれるようになったのです。

防砦システムは約600kmに渡って築かれ、これらは小さな砦から入植地まで、当時のローマ帝国の辺境における独特の生活が見られるもの。

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ロルシュの大修道院とアルテンミュンスター

ロルシュの大修道院とアルテンミュンスター
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ロルシュは、ドイツ中西部のヘッセン州にあり、8世紀に設立された修道院遺跡があります。アルテンミュンスターは「旧司教座聖堂」という意味の通り、ここには聖堂が置かれていました。

16世紀に修道院が解散すると、ここは破壊と再建を繰り返し、現在は「王の門」と呼ばれる門だけが残る遺跡となりました。遺跡からは当時の文化が分かるという点で評価。

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ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群

ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
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ドイツ北部に位置するシュレースヴィヒ渓谷にはダーネヴィアケと呼ばれる土塁があります。近くには交易の中心地であったヘーゼビューという集落遺跡があり、ここには道路や建築物、墓地、港などの遺構が残存。

現在は遺跡となっていて、発掘されているのは現在でも5%程度。2005年にはヴァイキングの家々が復元され、当時の集落の雰囲気が今でも分かるようになっています。

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シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群

シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群
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ドイツ西部のライン川沿いの司教都市であるシュパイヤー、ヴォルムス、マインツは、それぞれの頭文字をとって「ShUMサイト」としていて、世界遺産名としてもこれを採用。各都市では10世紀ころからユダヤ人街が建造され始め、ここは「ライン川のエルサレルム」とまで呼ばれるようになりました。

各都市にはシナゴーグ(礼拝所)の他に墓地など、さまざまな遺跡が残っています。

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世界遺産マニアの結論と感想

ドイツは古くから人類が居住する地であっただけに、ネアンデルタール人の遺跡なども発見されています。そして、ゲルマン人が暮らしていたことからローマ時代には城壁が建造され、今でも当時の国境線などが残されているのも特徴。ぜひディープに楽しんでくださいね!

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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