ポーランドの世界遺産は合計で17件。世界でも珍しい岩塩坑のヴィエリチカや、首都ワルシャワ・古都クラクフといった街歩きが楽しい観光地はもちろん世界遺産でありますが、それ以外はどんな世界遺産があるのでしょうか?
ここでは、ポーランドの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
クラクフ歴史地区/1978年登録
クラクフは、ポーランド南部のヴィスワ川沿いに作られた街。クラクフの起源ははっきりとしませんが、記録として残っているのは10世紀から。ポーランド王国が築かれた11世紀になるとクラクフは首都となります。街は北部の旧市街、王宮のあるヴァヴェルの丘、南部のカジミェシュ地区にそれぞれ分かれています。
王の居城だったヴァヴェル城、中央ヨーロッパで2番目に古いヤギェウォ大学など、ポーランド王国の輝かしい時代の建築物が現在でも残っています。
詳細はこちら↓
ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑/1978年登録
かつてポーランド王国の首都であったクラクフから南東へ約15km。ヴィエリチカの岩塩坑は岩塩鉱床という、かつての塩湖だった場所の地下に塩水が溜まって形成される地形を利用したもので、ここは13世紀〜20世紀後半まで稼働し、ヨーロッパでも最初期に造られた岩塩坑があった場所。
ここで採掘される塩はポーランドにおいては重要な産業となり、塩坑道はヨーロッパの採掘技術の発展が見られるもの。そして、地下にある礼拝堂では塩で作られた芸術作品などが見られるのが特徴です。
詳細はこちら↓
アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)/1979年登録
ポーランド南部にあるオシフィエンチム市(ドイツ語で「アウシュヴィッツ」)の郊外に作られた強制収容所は、ナチスドイツによって設立された強制収容所であり、劣等民族を処分するという「絶滅収容所」としての機能がありました。
近隣にあるビルケナウ収容所を含めて、多くのユダヤ人をはじめ、少数民族などもここで殺害されました。ここは20世紀における人類の残虐行為のシンボルであり、日本では負の遺産として登録されています。
詳細はこちら↓
ビャウォヴィエジャの森(ベラルーシと共同)/1979年登録
ポーランドとベラルーシの国境にまたがる大きな森林地帯で、ヨーロッパでも最大級の原生林。1979年にはポーランド側だけが登録され、1992年にベラルーシ側も含めて登録されました。ここは手つかずの森となっていて、中には樹齢300年の樹木があるというほど。
広大な森は、アカシカ、イノシシ、オオカミなどが住み、個体数が少なくなっているヨーロッパバイソンが生息することでも有名。
詳細はこちら↓
ワルシャワ歴史地区/1980年登録
ワルシャワはポーランドの首都であり、ヴィスワ川沿いに面した都市。記録によると13世紀に建造され、14世紀には城壁で囲まれた都市になりました。15世紀後半にポーランド・リトアニア共和国のクラクフにあった王宮がワルシャワに移転され、1611年には首都へ。
1944年のワルシャワ蜂起の際に街の約85%が破壊されてしまいました。しかし、第二次世界大戦後、国民によって町並みが完全復元され、13〜20世紀までの各時代の建築物がすべて再建されました。これは世界遺産としても非常に珍しい例。
詳細はこちら↓
ザモシチ旧市街/1992年登録
ポーランド南東部・ルブリン県に位置するザモシチは、16世紀のポーランド王国の大貴族で宰相ともなったヤン・ザモイスキによって築かれた都市。街は北欧から黒海を結ぶ交易ルートに位置していて、商業を中心とした国際都市となりました。
ここはイタリア人建築家のベルナルド・モランドによって設計された、ルネサンス様式の都市で、イタリアと中欧の伝統様式を組み合わせた建築物が並びます。
詳細はこちら↓
マルボルクのドイツ騎士団の城/1997年登録
マルボルクは、ポーランド北部にあるポモージェ県を流れるノガト川の東岸に13世紀にドイツ騎士団によって建造された町。ここは修道院兼要塞として13世紀に設立され、14世紀には騎士団国家の本部となりました。
ここは赤レンガで作られたゴシック様式の城で1万人もの人々を収容でき、武器庫や礼拝堂なども存在。第二次世界大戦で破壊されたものの、再び修復され、当時の雰囲気を残す建造物が今でも残っています
詳細はこちら↓
中世都市トルン/1997年登録
ポーランド中央部にあるトルンはヴィスワ川沿いにある交易で盛んな町でした。13世紀にドイツ騎士団の東方植民地としてキリスト教が持ち込まれた後、ハンザ同盟に加わり、バルト海や東欧の国々と交易を行い、町は発展していきます。
街には14〜15世紀に造られた建造物が現在でも残存。そして、トルンは地動説を唱えたコペルニクスの故郷であることでも有名で、彼の生家も世界遺産に含まれています。
詳細はこちら↓
カルヴァリア・ゼブジトフスカ:マニエリスム様式の建築と公園の景観複合体と巡礼公園/1999年登録
ポーランド南部のマウォポルスカ県にある町カルヴァリア・ゼブジドフスカは、この地方の中心都市であるクラクフの南西に位置しています。ここはクラクフのヴォイヴォダ(領主)であったニコライ・ザブジドフスキによって17世紀に設立。
彼はツァー山の斜面にエルサレムのイエス・キリストが処刑されたというゴルゴダの丘を模した聖十字礼拝堂を建造し、やがて町には教会や礼拝堂が多く建造されました。曲線を多用したマニエリスム様式の建造物が自然環境の中に点在するというのが特徴です。
詳細はこちら↓
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群/2001年登録
シレジアは、現在はポーランド南西部にあるエリアで、古来からさまざまな民族によって支配されてきた土地。17世紀の三十年戦争の結果、ローマ・カトリックを信奉するハプスブルク家が支配するようになりました。ここに住んでいたのはプロテスタントのルター派(ルーテル教会)の住民が多く、彼らは祈る場所がなくなってしまったのです。
現在残る平和教会は、17世紀に建造されたヨーロッパ最大の木造教会とされています。これらはルター派の教会に属していて、異なる宗派の教会を建造することを許した、支配者であるカトリック教徒たちの宗教的寛容を示すもの。
詳細はこちら↓
マウォポルスカ南部の木造教会群/2003年登録
ポーランド南部と南東部は、マウォポルスカ(小ポーランド)地方が広がっていて、ここはスロヴァキアとも近く、カルパティア山脈の北部に属する地域。この地はローマ・カトリックによる布教の拠点として教会建築が進められていて、都市部には中世から石造りの教会が築かれ続けました。
これらは中欧と東欧の伝統である木造建築を応用して建造されていて、6つの木造聖堂が世界遺産に登録。
詳細はこちら↓
ムジャコフスキ公園(ドイツと共同)/2004年登録
ドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがって広がる、ムジャコフスキ公園。この公園はこの地に生まれたヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵が1815〜1845年に庭として造園したもの。
もともと一つの公園だったのですが、ドイツ側はムスカウ公園、ポーランド側はムジャコフスキ公園として第2次世界大戦後に分断。公園内には地元の植物が植えられており、風景に溶け込むように配置した庭園様式は、ヨーロッパとアメリカの造園にも影響を与えました。
詳細はこちら↓
ヴロツワフの百周年記念ホール/2006年登録
ポーランド南西部のドルヌィ・シロンスク(下シレジア)県の県都ヴロツワフは、設立は10世紀に遡るほどの歴史深く、シレジア地方の中心都市でもあります。郊外には1911〜1913年にドイツ人建築家マックス・ベルクの設計によって、1万人も収容できる多目的ホールが建造されました。
ここはローマの円形競技場をテーマにしたドームを中心に鉄筋コンクリートを使用した先鋭的な建築物で、その後の現代建築に大いに影響を与えました。
詳細はこちら↓
カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林(他ヨーロッパ17ヶ国と共同)/2007年登録(2011・2017・2019年拡大)
ヨーロッパブナは、北はスウェーデン南部から南は地中海岸、西はポルトガル、東はトルコまで広がっていて、氷河期後期には、ヨーロッパの約40%はヨーロッパブナ(ファグス・シルヴァティカ)の林が広がっていました。登録エリア各地にはブナの原生林が広がっていて、ヨーロッパブナの原生林としては世界最大の規模を誇ります。
ポーランドとしての登録範囲は、東カルパティア生物圏保護区に属しているビェシュチャディ国立公園の4箇所が含まれています。
詳細はこちら↓
ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群(ウクライナと共同)/2013年登録
ポーランドのマウォポルスカ県・ポトカルパチェ県、ウクライナのリヴィウ州・イヴァーノ=フランキーウシク州・ザカルパッチャ州に点在する16の伝統的な木造教会が世界遺産に登録されています。
これらは16〜19世紀に東方正教会と東方典礼カトリック教会の教徒によって水平丸太組みで建造されたもので、木造教会は4つの民族グループで分かれていて、それぞれが異なっています。
詳細はこちら↓
タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山とその地下水利システム/2017年登録
ポーランド南部の上シレジアは古くから鉱物の採掘地域で、シロンスク県タルノフスキェ・グルィは、16世紀から鉛の供給源の方鉛鉱と銀が採掘されてきました。ここには水平の坑道と竪穴などが多く築かれ、標高270〜300mの緩やかな高原に位置するという珍しい鉱山で、他のヨーロッパの鉱山に比べて約3倍の量が流入するという特殊な事情がありました。
20世紀になると枯渇してしまい、1913年には廃坑。現在は博物館として、ガイド付きツアーなどで坑道の中を巡ることも可能です。
詳細はこちら↓
クシェミオンキの先史時代の縞状燧石採掘地域/2019年登録
ポーランド南東部のシフィェンティクシシュ山脈の北東部にあるクシェミオンキは、先史時代に縞状フリント(火打石)の採掘と加工がされてきた場所。ここは新石器時代から青銅器時代(紀元前3900年頃〜紀元前1600年頃)まで使用され、約500平方mもの大部屋がある縞状フリントの採掘エリアとしては世界最大のもの。
おもに斧などに使用された「縞状フリント(燧石・火打石)」の採掘と加工のために利用されていた4つの炭鉱遺跡が世界遺産に登録。
詳細はこちら↓
世界遺産マニアの結論と感想
ポーランドの世界遺産としては14件ではありますが、構成資産も含めると文化遺産が15件、自然遺産が2件と、歴史が深い国だけあって各時代の文化遺産がたくさん並ぶというのが魅力です。そして、新石器時代から現代に至るまでさまざまな遺産があるので、ぜひディープに楽しんでみてくださいね!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。