2021年に新たに登録された世界遺産はどの国のどんな遺産なのでしょうか?
ここでは、2021年に登録された15の世界遺産を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、2021年に登録された世界遺産について詳しくなること間違いなし!
※こちらは新規で登録された遺産で、拡大登録は含んでいません。2020年に申請された世界遺産は2021年の第44回世界遺産委員会で登録されましたが、それも含めていません。
目次
北海道・北東北の縄文遺跡群/日本
北海道南部から東北北部にかけて、山岳地帯、丘陵地帯、平野、低地、湖沼、川沿いなど、さまざまな地形に築かれた17の縄文遺跡で構成された世界遺産。これらはなんと紀元前約1万3000年から発展してきた縄文文化が分かり、彼らの信仰や儀式の足跡を残すものです。
ここは自然と適応しながら、狩猟採集社会の出現から発展、成熟までを示すもので、ここからは縄文土器や土偶が発掘され、ストーンサークルなどの儀式の場も見られます。そして、植物栽培の跡も見られ、農業社会にいたる前までの社会を示すもの。
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リヴィエラの冬季行楽都市ニース/フランス
フランス南東部、イタリア国境近くにあるニースは、国際的なリゾート地。ここは冬でも温暖な気候から、イギリスの上流階級の旅行者を中心に冬の行楽都市として発展してきました。そして、「プロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の遊歩道)」など、ここを訪れる人々のために作られた建築物などを含めた都市開発が行われた地でもあります。
19世紀にこの地がフランスに割譲されると、鉄道網の発達のおかげでさらにリゾート客が増加。旧市街を越えて町が拡大しました。このことから、今でも冬に温暖な気候を求めるリゾート客でいっぱい。
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ボローニャのポルチコ群/イタリア
イタリア北部の都市ボローニャには、古代ローマから栄えた都市で、中世には「ポルチコ」と呼ばれる、屋根付きで柱廊が並ぶアーケードが街中に建造されました。なんと合計で62kmにも及ぶといい、雨風を防ぐという独特の構造はここで商売をする人々にとっては最適で、ボローニャ名物となっています。
その中でもサン・ルカのポルチコは市内でも最大規模のポルチコで、丘の麓から頂上のサン・ルカの聖域まで7.5kmも続いています。
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リュブリャナのヨジェ・プレチニック作品群=人を中心とした都市計画/スロヴェニア
スロヴェニアの首都リュブリャナ。ここは建築家であり都市計画家であったヨジェ・プレチニックによる作品が現在でも多く残っています。これは20世紀前半、地方都市であったリュブリャナの旧市街に多くの公共施設を作り、それらを組み込むことによって街を発展させるという施策でもありました。
中心部には公園や広場、遊歩道、橋、図書館などの公共施設が建造され、結果的に街全体が近代都市へと変化。つまり、プレチニックは既存の建造物などを組み込んで、住民が暮らしやすいような都市へと再生させたということで評価されています。
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ウェールズ北西部のスレート関連景観/イギリス
ウェールズ北西部にあるスノードン山周辺は、スレート(粘板岩)の産地で、石切り場や鉱山、人々が住んだ邸宅や資産家のカントリー・ハウス、狭軌鉄道、港など、産業革命時に繁栄した姿を現在に残します。19世紀後半まで、ここで採掘される屋根スレートや床スラブの生産量は世界の3分の1になるほどに。ジョージ王朝時代にスレートは重宝され、世界の建築様式にも多大な影響を与えます。
そして、ここで磨かれた技術やその技術者たちは世界のスレート産業で活躍したということも評価。
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シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群/ドイツ
ドイツ西部、ライン川上流に広がるシュパイヤー、ヴォルムス、マインツの3都市は、古くからユダヤ人コミュニティがあり、各都市にはシナゴーグ(礼拝所)の他に墓地など、さまざまな遺跡が残っています。シュパイヤー、ヴォルムス、マインツは、それぞれの頭文字をとって「ShUMサイト」としていて、世界遺産名としてもこの名を採用。
これらは11〜14世紀において、彼らのコミュニティの発展を示していて、後世のユダヤ人街やイスラエル建国へと繋がる原点的な場所でもあります。
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ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメス/ドイツ・オランダ
リーメスとはラテン語で「国境」を示すもの。現在ではおもに長城を示すことが多い傾向にあります。かつてドイツ中部からオランダの北海沿岸まで、ローマ帝国の国境線がライン川の左岸を約400kmに渡って続いていました。
このエリアはかつて、ローマ帝国の属州ゲルマニア・インフェリオルの領土だった場所で、北方から侵入してくるゲルマン人を牽制するために、要塞や塔、港、集落、宗教施設などが国境線沿いに点在していましたが、ほとんどが地下に埋没してしまいました。しかし、結果的に保存状態は良好に。
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オネガ湖と白海の岩絵群/ロシア
ロシア北西部にあるオネガ湖と白海には、紀元前6000〜7000年前の新石器時代に造られた岩絵が33箇所、約4500点も点在。
オネガ湖には、22箇所に1200を超える岩絵があり、半分は人間を描いたものですが、他は鳥や動物、そして、月と太陽をモチーフにしているという幾何学模様が描かれています。白海では、11箇所3400を超える岩絵が確認され、当時の人々の服装、そして、狩猟や航海の様子なども刻まれています。
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ドーラビーラ:ハラッパー文化の都市/インド
世界四大文明の一つ、インダス文明は現在のパキスタンやインド西部で栄えた文明で、その中でもハラッパーはパキスタン北東部で栄えた文化。インド西部のカディール島には、紀元前3000〜1500年にかけて人が住んだ形跡のあるドーラビーラ遺跡があります。
貯水池などの水利施設があったことから、高度な文明を持つ都市だったとされていて、インド亜大陸で5番目に大きなインダス文明の遺跡でもあります。
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フーラーマーン/ウラマナトの文化景観/イラン
イラン西部のザグロス山脈には、紀元前3000年頃からこの地域に住んでいたクルド系の農牧民・ハワラミ族が住んでいるフーラーマーン/ウラマナトがあります。ここは何千年にも渡って、段々状の傾斜地に家や農地など、さまざまな施設が並ぶ独特の景観が残る地。
彼らはここで何千年にも渡って急勾配に水を管理しつつ段々畑を築き、村を築き上げ、農業と牧畜を営むという伝統的な暮らしを行ってきました。ここは、自然とともに調和しつつ生活を営んでいたことから独自の文化的景観が見られます。
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サルト-寛容と都市的ホスピタリティの場/ヨルダン
ヨルダン中西部・バルカ高原にある3つの丘に築かれたサルトは古来より交易で栄えた都市。ここはシリアやレバノン、パレスチナから人々が集まり、やがて定住し始めると都市を形成しました。19世紀後半〜20世紀前半までが「黄金時代」で、その間に現在のヨルダン・ハシミテ王国の前身となるトランスヨルダン王国の首都になるほど。
サルトはイスラム教徒とキリスト教徒が混じり合って暮らし、19世紀〜20世紀初頭までさまざま文化が交差するという「寛容とホスピタリティ」が見られる都市です。
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イヴィンド国立公園/ガボン
ガボン北東部の赤道直下にある「イヴィンド国立公園」は3000平方kmもの熱帯雨林が広がり、動物相がとても豊か。イヴィンド川を中心に熱帯雨林が広がっていて「イヴァンドの驚異」ともされるダイナックな滝が見られることで有名です。
登録されたエリアには絶滅危惧種が多く見られ、特に絶滅寸前のニシアフリカホソナガバナワニが生息し、チンパンジーの保護区でもあります。
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コートジボワール北部のスーダン様式モスク群/コートジボワール
コートジボワール北部はかつて大西洋の海岸からサハラ砂漠の南方までを支配していたマリ帝国の領土で、この地方にはマリ帝国のトンブクトゥやジェンネで流行したスーダン様式を取り入れたモスクが点在。
かつては数百もあったとされますが、登録されている8つのモスクはその中でも保存状態が良いもの。これは11〜19世紀にかけてイスラム商人や学者が南方のサバンナ地域まで、イスラムの文化を拡大させたという証拠でもあります。
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アリカ・イ・パリナコータ州のチンチョーロ文化の集落と人工ミイラ製法/チリ
チリ北部、アリカ・イ・パリナコータ州には、紀元前7000〜1500年頃に栄えたチンチョーロ文化と呼ばれる、漁業と狩猟を中心とした文化が存在した土地。ここでは人類の歴史でもはるか昔に人工ミイラを作る技術があったことでも知られます。
アンデスのミイラ製法は、乾燥した土地を利用した風葬のスタイルで放置しながら自動的にミイラになっていくという方法がとられていましたが、ここで発見されたものは人工のミイラでした。ミイラは内蔵に詰め物をして、遺体にはカツラや仮面、粘土を塗ったりと加工したものが多数。
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世界遺産マニアの結論と感想
2021年に登録された世界遺産は、文化遺産が14つ、自然遺産が1つと、文化遺産の登録が豊富だった年でしたね。2年振りの世界遺産委員会ということで、準備期間があったのか割とスムーズに登録されたものばかりでしたが、ちょっとマニアックなのが多め。…もちろん、遺産の価値としては素晴らしいものばかりですが!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。