世界遺産に登録されている中東の遺跡はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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中東とは、おもにヨーロッパから見て東側に位置する国々を指すことが多く、一般的には西アジア諸国にエジプトを加えたエリアとされています。メソポタミア文明やエジプト文明など、人類の歴史のルーツが見られるだけあって、世界史としても重要な遺跡が多いのが特徴。

ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。

目次

ヒエラポリス-パムッカレ/トルコ

ヒエラポリス-パムッカレ/トルコ
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パムッカレは、トルコの南西部にあるデニズリ県の県都デニズリから北へ約15kmの位置にあるエリア。平原にある標高約200mの丘には、斜面から石灰を含んだ温泉水が流れており、これが堆積して段々状の棚を作り出しています。まるで綿が集まった城塞に見えることから、トルコ語で「綿の城(パムッカレ)」と呼ばれます。

パムッカレの丘の上には紀元前2世紀に築かれたヒエラポリスがあり、ここはローマ時代、温泉をテーマとした健康センターとして栄えた場所でした。

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メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯/エジプト

メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯/エジプト
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メンフィスはギザから南へ約20km、ナイル川の西側に位置する遺跡。紀元前3000年頃にエジプト第1王朝がこの地で設立されたとされ、ナイル川はこの周囲でデルタ地域に入るため、エジプト全域を統治するのに最適の地でした。

このエリアには、世界の七不思議の一つ、ギザの大ピラミッドを含め、多数のピラミッド、マスタバ(長方形の墳墓)や神殿など…南のダハシュールまでさまざまな建造物が登録されています。

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古代都市テーベとその墓地遺跡/エジプト

古代都市テーベとその墓地遺跡/エジプト
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首都カイロからナイル川沿いに南へ約760km。現在はルクソールという名前の街ですが、ここはかつてエジプト中王国・新王国時代の首都として栄えたテーベがありました。

カルナック神殿などの巨大な神殿や、ファラオたちが眠る王家の谷などが残り、エジプト文明が最も栄えていた時代の人々の生活や建築技術などが今でも見られます。

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アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群/エジプト

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群/エジプト
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ヌビア地方はエジプト南部からスーダン北部まで広がる地域。「ヌビア」というのは、古代エジプト語の「ヌブ(金)」から由来する言葉で、古代から鉱物資源が多く発掘される場所でありました。

ナイル川沿いにアブ・シンベル神殿やイシス神殿など、壮麗で巨大な神殿が多く残っています。1960年代にユネスコにより「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」が行われ、世界遺産設立のきっかけとなったことでも有名。

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アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)/サウジアラビア

アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)/サウジアラビア
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サウジアラビア北西部にあるアル=ヒジュルの考古遺跡は、もともとマダイン・サーレハ(サーレハの街)と呼ばれ、クリアーンではアル=ヒジュル(岩だらけの場所)として呪われた地と信じられてました。

実際は、紀元前1世期〜紀元1世紀に現在のヨルダン西部を中心に栄えたナバテア王国の遊牧民が住んでいた都市。そして、ナバテア人が住む前にも人々が住んでいて、約50の碑文といくつかの洞窟壁画も残っています。アル=ヒジュルには、なんと111の墓石があり、そのうち94が装飾が残るもので保存状態も良好。

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ペトラ/ヨルダン

ペトラ/ヨルダン
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ペトラはヨルダン南部・死海とアカバ湾の間にある渓谷に造られた都市。ここを築いたのは遊牧民であったナバテア人です。彼らはキャラバン交易によって莫大な富を得ました。しかし、2世紀にローマに併合されると徐々に衰退。7世紀にイスラムの支配下になり、12世紀に十字軍の砦が築かれた後は、廃墟となりました。

建築物のほとんどが岩山を削って造られたもの。ここには独創的な貯水システムも見られ、ナバテア人は優れた建築技術を持っていたことが分かっています。

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パルミラ遺跡/シリア

パルミラ遺跡/シリア
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パルミラは、シリア中央部にあるホムス県タドモルに位置する遺跡。ここは1〜2世紀にシルクロードの交易の拠点として繁栄し、この地で生まれた壮麗な建築様式や美しい芸術作品は、古代オリエントとギリシャ・ローマの文化の融合を示すもの。

2013年にイスラム過激派組織ISIL (ISIS) がこの地でシリア軍と戦闘となったために、危機遺産に登録されています。2017年にシリア軍がタドモルを奪還するも、ほぼ廃墟となってしまったため、現在は修復を待っているという状況。

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ティルス(スール)/レバノン

ティルス(スール)/レバノン
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首都ベイルートから南に83kmの位置にあるティルスは、かつてカルタゴ(現在のチュニジア)などの有力な植民都市を地中海各地に築くほどに繁栄した都市でした。紀元前2750年前に設立されたとされ、世界でも長い歴史を持つ都市の一つ。

しかし、十字軍時代の終わりには衰退。現在のティルスはスールという小さな漁村になっており、ローマ時代の遺跡が残っています。

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聖書ゆかりの遺丘(テル)群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ/イスラエル

聖書ゆかりの遺丘(テル)群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ/イスラエル
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「テル」とは遺丘を指していて、都市や集落が同じ場所で建設と崩壊を繰り返して形成されたもので、トルコ東部からイスラエルまで地中海東部には200ものテルが点在します。そのなかでも、メギド、ハツォル、べエル・シェバが世界遺産に登録。

ここは何千年にも渡る地中海東岸の技術を示す水利施設の跡が見られ、旧約聖書でも言及されているという点でも価値が高いもの。

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古代エリコ(イェリコ)/テル・アッスルターン/パレスチナ

古代エリコ(イェリコ)/テル・アッスルターン/パレスチナ
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ヨルダン川西岸地区でもヨルダン川の河口から約15kmの距離に位置する低地にあるのがエリコの町。ここは海抜マイナス258mにあり、世界で最も標高の低い町としても有名です。

エリコには紀元前1万年前から人類が暮らしていたということを示す集落遺跡「テル・アッスルターン」があり、世界最古の都市があったとされる場所。そして、遺構からは人類の文化のルーツをたどることができるというのが特徴です。

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南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影/イラク

南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影/イラク
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アフワールとは、現在のイラク南部にある湿原地域を指し、ティグリス川とユーフテラス川によって形成されたデルタ地帯を示しています。ここは紀元前5000年から紀元前3000年の間にペルシャ湾の水位が上がり、海岸線が現在と比べて200kmもの内陸にまで達していました。周囲は淡水の湿地帯となり、この地が世界でも最古の文明の一つメソポタミア文明の起源となります。

現在はウルやウルク、テル・エリドゥというシュメール時代の都市遺跡と、4つの湿地帯を含めて構成された複合遺産となっています。

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ペルセポリス/イラン

ペルセポリス/イラン
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ペルセポリスは、イラン南部のファールス州の高原に位置する広大な遺跡。ここは紀元前518年にアケメネス朝ペルシャの王・ダレイオス1世によって築かれた宗教都市でした。

広大な領土を持ったアケメネス朝が築いた都市だけあって、敷地には豪華な宮殿が建設されました。現在はほとんどが崩壊してしまいましたが、壮麗なレリーフや門、宮殿跡などからは当時の様子がイメージできるほど。

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アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒーリー、ビダー・ビント・サウドとオアシス群)/アラブ首長国連邦

アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒーリー、ビダー・ビント・サウドとオアシス群)/アラブ首長国連邦
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アルアインは、オマーンの国境沿いにあるアブダビ首長国でも第2の規模を誇る都市でもあります。ここは歴史が古く、新石器時代から人々が暮らす地で、特に青銅器時代や鉄器時代の遺構が多く点在。

この地には紀元前2500年前の円形の石造りの墓などがあり、これらは新石器時代以降、砂漠地帯に人類が定住していたことを示すもの。そして、ヒーリーと呼ばれる地域には、鉄器時代に遡るという世界最古の灌漑施設アフラージュが存在していたことで知られます。

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アル=ズバラの考古遺跡/カタール

アル=ズバラの考古遺跡/カタール
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ペルシャ湾沿岸の城壁に囲まれた港町であったアル=ズバラは、18世紀後半から19世紀初頭に交易で栄え、真珠産業の中心地でもありました。ここはクウェートの商人によって設立されたこともあって、特に真珠の輸出が多かった地。

宮殿やモスク、邸宅、漁師小屋などを含めた遺構が残り、これらはカタールが大国に挟まれながら独立国家として存続したことを示し、現在の湾岸諸国の誕生にも繋がっているという点でも貴重です。

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バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都/バーレーン

バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都/バーレーン
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バーレーン要塞は、首都マナーマから西へ約8kmの北海岸に位置する遺跡。ここは紀元前24世紀から現在に至るまで、さまざまな建造物が積み重なったというバーレーンで最大の集落(テル)でもあります。

要塞は紀元前24世紀〜紀元前16世紀に建造されたディムルン文明の中心地だった場所。ディムルンとは、エジプト文明にも劣らない高度な文明だったとされるにもかかわらず、ここはまだ約25%しか発掘されていません。要塞は、ディムルン時代からさまざまな建造物が積み重なった集落(テル)であり、多様な文化が見られるのが特徴です。

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カルハットの都市遺跡/オマーン

カルハットの都市遺跡/オマーン
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オマーン北東部にある中心都市スールから北へ約20km。カルハットはかつてホルムズ王国(11世紀〜1622年)の中心的な港だった場所です。ホルムズ王国は、現在のホルムズ海峡からオマーン湾の沿岸と島々で構成していた国家で、現在のイランにあるバンダレ・アッバースとホルムズ島を中心に各国との交易で栄えた国家でした。

現在は霊廟がポツンと一つだけ残る遺跡となっていますが、ここで発見された遺物はかつてナツメヤシや馬、真珠などの交易で発展し、アフリカから東アジアまでさまざまな地域と交易があった港であるということを示しています。

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マアリブの古代サバア王国記念建造物群/イエメン

マアリブの古代サバア王国記念建造物群/イエメン
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マアリブは、アラビア半島南部で繁栄したサバア王国(紀元前800年頃〜紀元前275年)の首都であった場所。サバア王国は地中海や東アフリカとの交易によって繁栄し、幅広い交易ネットワークを持ち、アラビア半島では乳香の交易ルートを支配していました。

旧市街に残るサナア王国時代の宮殿や神殿、その都市を囲む城壁だけでなく、周囲のダムの跡などが世界遺産に登録。

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世界遺産マニアの結論と感想

エジプト、トルコ、イラクなど、人類の文明の起源ともいうべき遺跡が多く点在するのが中東で、世界遺産に登録された遺産の量は膨大!先史時代のものから古代の大帝国の遺構まで、とにかく壮大な遺跡が並んでいるのが特徴。ぜひディープに楽しんでくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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