「ヨーロッパ」という言葉は古代ギリシャが由来であるように、世界でも古い歴史を持っています。現世人類のルーツの一つであるクロマニョン人は約4万年前にはこの地へと到達していて、彼らの足跡は現在も残存。もちろん、ギリシャ遺跡やローマ遺跡はかつての繁栄を今に伝えています。そんな深い歴史を持つヨーロッパで世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?
ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂/イタリア・バチカン市国
古代ローマの発祥であるローマは、今ではイタリアの首都。そして、現在もローマ帝国最盛期の遺構が多く残っています。紀元前3世紀に築かれたアウレレリアヌスの城壁に囲まれた地域が世界遺産として登録されていて、1990年にそれより西側に広がるウルバヌス8世の城壁まで範囲が拡大しました。
約2600年の歴史を誇るローマは、ヨーロッパの歴史の中で重要な役割を果たしていて、各時代の建築物の発展が分かる遺構が今でも大事にされています。
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ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域/イタリア
イタリア南部のカンパニア州のナポリ県にある3つの遺跡が世界遺産に登録。ポンペイとヘルクラネウムはヴェスヴィオ山の噴火による火山灰で埋没した都市遺跡で、当時の街の様子がそのまま残され、非常に状態が良いもの。
トッレ・アンヌンツィアータのヴィッラ(別荘)はローマ帝国時代の富裕層の暮らしなどが今でも分かるという点で貴重です。
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アテネ(アテナイ)のアクロポリス/ギリシャ
ギリシャのアッティカ地方にある首都アテネには、イッソス川の渓谷に標高156mの石灰岩の丘があり、頂上に立つ建造物は古代ギリシャから現在までその姿を残します。丘の上は「アクロポリス」と呼ばれ、これは「高い丘にある都市」というような意味を持つもの。
ここには紀元前5世紀に築かれた、アテネの繁栄を示す建造物が多く見られます。パルテノン神殿やエレクテオン神殿など、壮麗な建築物は古代ギリシャの最大の芸術品であり、その後のヨーロッパの建造物に大きな影響を与えました。
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ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群/イギリス
ブリテン島の南西部にあるウィルトシャーにあるストーンヘンジは国内のストーンサークルを代表するもの。近くにあるエーヴベリーは世界最大のストーンサークルでもあります。
これらは紀元前30世紀〜紀元前10世紀の約2000年の間に建造されたものではありますが、建造時期も諸説あります。まだまだ謎が多いですが、新石器時代から青銅器時代にかけて儀式が行われた場所とされ、当時の生活習慣などが分かるものとして評価。
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ブルー・ナ・ボーニャ-ボイン渓谷の遺跡群/アイルランド
首都ダブリンから北へ約40kmにあるボイン渓谷。ここにはニューグレンジ、ノウス、ダウスといった3つの大型石室墓があり、さらに40もの羨道墳(天井が低く狭い通路の墓)を持つ、アイルランド最大級の先史時代の遺跡。
これらは紀元前3000年頃の新石器時代に建造された古墳で、まだまだ謎に満ちているもの。
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ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群/フランス
ヴェゼール渓谷は、フランス南西部・ドルドーニュ県のレゼイジ=ドゥ=タイヤック=シルイユからモンティニャックまで広がる約40kmほどのエリアを指し、ここには先史時代の147の遺跡と25の装飾された洞窟が点在。
特に1940年に発見されたラスコー洞窟の壁画が有名。これらは狩猟の様子が生き生きと描かれていて、先史時代の芸術品とも呼べるもの。
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ローマ帝国の国境線/イギリス・ドイツ
イングランドとスコットランドとの国境近くに位置するハドリアヌスの長城。これは122年にローマ帝国・五賢帝の一人、ハドリアヌス帝によって、属州ブリタニアの最北端に築かれたもの。そして、その北方にある60kmのアントニヌス・ピウスの長城も2005年に追加で登録されています。
ゲルマン民族の襲撃に備えて建造された、現在のドイツのライン川とドナウ川を結ぶ約500kmのリーメスも合わせて登録。
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モンス市スピエンヌの新石器時代の火打石採掘地/ベルギー
エノー州の州都モンスの郊外にあるスピエンヌには、何百万もの火打石(燧石、フリント)の破片が続く台地があり、地下には新石器時代の人々によって形成された縦穴が残存。
ここは6000年以上前の新石器時代に採掘された、ヨーロッパ最大規模かつ最古の鉱山跡地が集中するエリアで、坑道跡や火打石に使用される石英なども発見され、遺跡の周辺には石器を製造していた集落跡などもあります。
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メリダの考古遺産群/スペイン
スペインの西部に位置するエストレマドゥーラ州の州都であるメリダ。ここはかつて「アウグスタ・エメリタ」と呼ばれ、紀元前25年に初代ローマ皇帝アウグスティヌスが当時のスペインを征服し、ここはローマ帝国の最西端の属州ルシタニア(現在のポルトガルとスペイン西部)の州都として設立しました。
今でもローマ橋や円形劇場、神殿、水道橋などが残り、帝政ローマの州都のかつて姿を現在に残しています。
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アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群/スイス、オーストリア、イタリア、フランス、ドイツ、スロベニア
ヨーロッパのアルプス山脈周辺の6ヶ国には、紀元前5000〜500年の先史時代に湖や河川、湿地帯に杭上住居跡が111箇所も残り、これらは水没していたために保存状態が非常に良好。新石器時代から青銅器時代の人々の生活が見られる遺跡となっています。
スイスは登録されている国の中でも最も多く登録されていて、国内各地に56箇所も遺跡が点在しています。
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イェリング墳墓群 、ルーン文字石碑群と教会/デンマーク
ユトランド半島でも中央に位置するイェリングは、10世紀にデンマーク王国の最初の王とされるゴーム老王の拠点であった場所で、ここには2基の文字で刻まれた石碑があります。
それぞれゴーム老王とその息子・ハーラル青歯王によってルーン文字が刻まれていて、特にハーラル青歯王のものはデンマークの統一やノルウェーの支配、そしてデンマークのキリスト教化を示すという歴史的な意義があるもの。
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エーランド島南部の農業景観/スウェーデン
スウェーデンの南東部、バルト海に浮かぶエーランド島の南部は、石灰岩に囲まれた土地。痩せた土地であるにもかかわらず、島に住む人々は耕作地と牧草地を開梱して生活を続けてきました。
島に点在する先史時代の遺跡や、今でも現役の400もの水車が並ぶその風景は、文化的景観として登録。
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サンマルラハデンマキの青銅器時代の石塚群/フィンランド
フィンランドの南西部の街ラッピの郊外に位置するサンマルラハデンマキは青銅器時代の墓地遺跡です。これらは紀元前1500〜紀元前500年のスカンジナビアの青銅器時代の遺構が見られ、33基の石積みされた墳墓が点在。
これらは3000年以上前の北欧の葬祭の風習や宗教、社会構造などが分かるという点で重要なもの。
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ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所/ハンガリー
ローマ帝国時代、ハンガリーの大部分はパンノニアと呼ばれた属州となっていて、現在のハンガリー南部にあるペーチはソピアナエという名の都市でした。ここは軍事上の要衝の地であり、交易で栄え、これらの地下墓地は4世紀頃に建造されたもの。
ここにはローマ時代に建造された、キリスト教徒たちの墓所があり、地上には礼拝堂や霊廟、地下にはカタコンベという埋葬室が残っています。カタコンベは聖書をモチーフにした壁画で飾られていて、芸術価値が高いもの。
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クシェミオンキの先史時代の縞状燧石採掘地域/ポーランド
ポーランド南東部のシフィェンティクシシュ山脈の北東部にあるクシェミオンキは、先史時代に縞状フリント(火打石)の採掘と加工がされてきた場所。ここは新石器時代から青銅器時代(紀元前3900年頃〜紀元前1600年頃)まで使用され、約500平方mもの大部屋がある縞状フリントの採掘エリアとしては世界最大のもの。
おもに斧などに使用された「縞状フリント(燧石・火打石)」の採掘と加工のために利用されていた4つの炭鉱遺跡が世界遺産に登録。
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中世墓碑ステチュツィの墓所群/ボスニア・ヘルツェゴビナ・クロアチア・モンテネグロ・セルビア
ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、クロアチアには中世の墓碑であるステチュティが点在し、これらは合計で7万を越え、12世紀後半から16世紀にかけて建造されたもの。
中世にこの地域はボスニア王国(1377〜1463年)によって支配されていて、当時のローマ・カトリックや東方正教会から異端とされていたボスニア教会に属する地域が多かったという点で、墓碑には独特の文化が見られます。
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ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ/セルビア
ブルガリアの国境に近いザイェチャル市に残るガムジグラード。現在は小さな村ですが、郊外にはローマ皇帝ガレリウス(260〜311年)が3世紀後半から4世紀初頭にかけて彼の母ロムラのために建造された都市遺跡が残っています。
ここは彼の母ロムラのために建造された街で、都市名も彼女の名から「ロムリアーナ」と呼ばれていました。彼が引退後に過ごした宮殿跡を中心に要塞や教会、浴槽施設、寺院、記念碑などの遺構が残り、すべての床面がモザイクで装飾されているのが特徴。
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ブトリント/アルバニア
アルバニア南部のリゾート地・サランダから南へ約40kmにある遺跡。ここは地中海の歴史の縮図ともいうべき場所で、集落としての起源は紀元前5万年にも遡るというほど。
現在でも円形劇場や医療の神・アスクレピオスを祀る神殿、バシリカ式の聖堂など、各時代の遺構が見られます。
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オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群/ルーマニア
ルーマニア中西部にあるオラシュチエ山脈の麓に位置する6つの要塞跡は、かつてルーマニア一帯で暮らしていたトラキア系のダキア人によって紀元前1世紀から後1世紀にかけてローマ人との戦いに備えて築かれたもの。
特に「サルミゼゲトゥサ」はダキア人の王ブレビスタ(紀元前111年頃〜紀元前44年頃)が設立したとされるダキア王国の首都で、ここに残る要塞はムルス・ダキクスと呼ばれる、2つの外壁の隙間に砂利、セメント、粘土、土などを入れて強化した堅固な城壁で囲まれたもの。
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マダラの騎士像/ブルガリア
ブルガリア北東部の大都市シュメンから東へ約20km。マダラ高原には高さ100mある断崖に刻まれた騎馬のレリーフがあることで有名。レリーフは、高さ23mの位置に縦2.5m、横2mにも渡って削られた巨大な騎士の像で、犬を従えた騎馬が馬にライオンを踏みつけているというデザイン。
これは8〜9世紀に建造された第1次ブルガリア帝国時代(681〜1018年)のもの。ブルガリア帝国のハーン(君主)であり、英雄であるテルヴェルがモチーフにされているという説が有力。
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ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)/リトアニア
首都ヴィリニュスから北東へ約35mの位置にあるケルナヴェは約1万年に渡って人々が暮らしてきたという歴史の深い町。町の南部の渓谷沿いにある考古遺跡は、旧石器時代後期から中世まで居住地であり、これらは氷河が溶けてからの人類の居住地の拡大を示すもの。
さらに中世まで存在していた集落や要塞、埋葬地などの遺構が残っています。ここは14世紀にドイツ騎士団によって破壊された後、住民は丘の上に移住したため、古代遺跡の保存状態は良好であるというのが特徴。
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ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域/ウクライナ
クリミア半島の中心都市セヴァストポリ近郊にあるケルソネソス・タウリケの遺跡。「ケルソネソス・タウリケ」とは「クリミア半島」の古称で、ここはギリシア人の植民都市として紀元前5世紀に設立。やがて黒海沿岸における重要な交易都市となり、2000年に渡ってクリミア半島の商業の前線基地として役割を果たしてきました。
現在は都市遺跡となっていて、周囲にはチョーラと呼ばれる小区画に分けられた農業領域が存在し、これらはブドウ園として利用されていたもの。
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エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡/アルメニア
エチミアジンは、首都エレバン郊外にある都市で、301年にアルメニア初の司教座が置かれた場所。大聖堂やスルブ・ガヤネキョイ教会など、ドーム天井の十字架型の聖堂は、このエリアの建築と芸術の発展に繋がっていきました。
ズヴァルトノツの考古遺跡は7世紀にカトリコス・ネルセス3世によって聖堂が建造され、3階建ての円形構造で4つの後陣(アプス)があり、45mの高さを誇る聖堂があったとされる場所。しかし、10世紀に地震によって崩壊し、地中に埋もれたものが、1900年に発掘され、現在は土台などが見られます。
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パフォスの考古学遺跡/キプロス
キプロス島南西部に位置するパフォスは、新石器時代から人が住んでいて、美と愛の女神アフロディーナの生誕の地でもあります。
紀元前3世紀になるとパフィスは海岸沿いにある現在のカト・パフォスに遷都して、そこがネオ・パフォスと呼ばれるように。神殿があった元々のパフォスは、パラエ・パフォスと呼ばれるようになりました。プトレマイオス朝(紀元前305〜30年)期はキプロスの首都となるほどに繁栄しましたが、東ローマ帝国時代から1974年までは小さな都市に衰退。現在は当時の遺構が残っています。
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マルタの巨石神殿群/マルタ
マルタ島からすぐ北にあるゴゾ島にはジュガンティーヤという巨石神殿が残り、他にもスコルバ、タルシーン、ハジャイーム、ムナイドラなど、この2つの島々には紀元前4000年〜紀元前3000年の間に建設された青銅器時代の神殿が残っています。
1980年にジュガンティーヤにある2基の巨石神殿が登録された後、1982年には5つの神殿が追加で登録されました。
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世界遺産マニアの結論と感想
世界遺産のバランスとしてもヨーロッパの割合が大きいということもあり、世界遺産に登録された遺跡の量も膨大!先史時代のものから中世まで、かつて繁栄した文明や王朝の足跡が見られるのが特徴。こちらで紹介した遺産だけでなく、ヨーロッパにはさまざまな遺産があるので、ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。