古代ローマは、現在のイタリアの首都であるローマを中心とした国家で、西はイベリア半島、東は中東まで地中海一帯を支配した世界帝国でもありました。今でも地中海沿岸には、古代ローマの遺跡が多く残っていて、世界遺産に登録されている遺跡も多数!
そこで世界遺産として登録されている遺跡はどんなものがあるか、世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂/イタリア
古代ローマの発祥であるローマは、今ではイタリアの首都。そして、現在もローマ帝国最盛期の遺構が多く残っています。紀元前3世紀に築かれたアウレレリアヌスの城壁に囲まれた地域が世界遺産として登録されていて、1990年にそれより西側に広がるウルバヌス8世の城壁まで範囲が拡大しました。
ローマのシンボルでもあるコロッセオは80年設立。ウェスパシアヌス帝が建設を始め、ティトゥス帝の時代に完成したもの。5万人から8万7000人まで収容でき、ここでは剣闘士同士や、剣闘士と猛獣など、見世物が行われたことで有名。
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ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域/イタリア
イタリア南部のカンパニア州のナポリ県にある3つの遺跡が世界遺産に登録。ポンペイとヘルクラネウムはヴェスヴィオ山の噴火による火山灰で埋没した都市遺跡で、当時の街の様子がそのまま残され、非常に状態が良いもの。
トッレ・アンヌンツィアータのヴィッラ(別荘)はローマ帝国時代の富裕層の暮らしなどが今でも分かるという点で貴重です。
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ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ/イタリア
シチリア島中央部にあるエンナ県は丘陵地帯となっていて、ここはローマ帝国時代は貴族による農園(ラティフンディア)があったとされています。この地には貴族たちによってヴィッラ(別荘)が多く建造され、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレはその中でも保存状態が良いもの。
40以上の部屋と床には豪華なモザイク装飾が置かれ、特に馬車や猛獣狩り、ビキニの姿の女性まで世俗的なものをモチーフにしたモザイクがユニーク。
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アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ/イタリア
アドリア海の北岸に位置するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州に位置するアクイレイア。ここは現在は小さな町ですが、紀元前181年の共和制ローマ時代に都市が設立されると、地中海と中央ヨーロッパを結ぶ交易の中心となり、「第2のローマ」として繁栄しました。
しかし、5世紀に破壊。その後もこの地には総大司教座が置かれ、バシリカ式聖堂に残る4世紀のモザイクには、ラパルム(XとPを組み合わせたデザイン)も確認でき、中央ヨーロッパの布教において重要な役割を果たしたことを示しています。
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ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)/イタリア
首都ローマから東へ約30kmに位置するティヴォリは、古代ローマから貴族たちのリゾート地として知られ、別荘などが建設された地でありました。ローマ帝国最盛期の皇帝で、五賢帝の一人であったハドリアヌスは、118年からこの地に広大な別荘を作り始め、完成したのは133年。
領土内に多くの建造物を作り出したハドリアヌスが手掛けただけあって、別荘はエジプト、ギリシャ、ローマのさまざまな建築技術が詰まった「理想郷」のような豪華絢爛な邸宅でした。
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ポン・デュ・ガール(ローマ水道橋)/フランス
フランス南部・ガール県のガール川にかかる橋で、古代ローマ時代に建造されたもの。ここはユゼスという水源地からネマウスス(現在のニーム)へと水を運ぶために築かれた約50kmもの長さがある水路の一部で、世界遺産として登録されているのは、約275mの水道橋部分。ここは1世紀に古代ローマの政治家であったアグリッパが建造を命令して築かれたもの。
橋は3層のアーチで構成された優美なデザインで、ローマの建築家によって築かれた高度な建築技術が今も見られます。
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オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」/フランス
フランス南東部プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏にあるオランジュは人口3万人の小さな町。ここは古代ローマ時代から存在し、町には1世紀に初代皇帝アウグストゥスが建造したローマ劇場が今でも現存。
さらに町の北部に残る凱旋門のレリーフには当時この地に暮らしていたガリア人が鎖で繋がられたデザインもあり、これはローマ帝国によってこの地が征服されたことを示すレリーフでもあります。
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アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群/フランス
フランス南部のプロヴァンス地方のアルルは紀元前2世紀に共和制ローマによって支配されるようになると、ローヌ川の河口に位置することから、ローマの商業の拠点となりました。
ここはローマ皇帝コンスタンティヌス1世が愛した地であり、キリスト教世界において重要な都市になりました。旧市街の東部にある円形闘技場はアルルのシンボル的存在で、紀元前1世紀に建造されました。幅は最大で約136mで、最も短い部分は約107m。
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ニームのメゾン・カレ/フランス
フランス南部のニームはガール県の県庁所在地であり、古代ローマ時代からの歴史を誇る都市。もともとはローマ人の村にあった泉「ネマウスス」という名前が起源とされ、紀元前1世紀には既にローマ帝国の植民都市でありました。
メゾン・カレは紀元前1世紀建造の神殿であり、教会や会議場などに転用されつつも、現代まで改修されながら保存されている貴重な建造物でもあります。
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セゴビア旧市街と水道橋/スペイン
セゴビアは、スペイン中央部のカスティーリャ・イ・レオン州にある要塞都市で、首都マドリードから北東へ約90kmの距離。エレスマ川とクラモレス川の間に位置していて、交通の要所でもありました。
紀元前1世紀に建造されたローマ時代の水道橋が現在でも当時の状態を残しつつ存在しています。これは2層のアーチを持つ128本の柱で構成され、全長813m、最高点は28.5mの巨大な水道橋。スペインの中でも保存状態が良い水道橋で、ローマ人の土木工学技術の高さが伺えるもの。
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メリダの考古遺産群/スペイン
スペインの西部に位置するエストレマドゥーラ州の州都であるメリダ。ここはかつて「アウグスタ・エメリタ」と呼ばれ、紀元前25年に初代ローマ皇帝アウグスティヌスが当時のスペインを征服し、ここはローマ帝国の最西端の属州ルシタニア(現在のポルトガルとスペイン西部)の州都として設立しました。
今でもローマ橋や円形劇場、神殿、水道橋などが残り、帝政ローマの州都のかつて姿を現在に残しています。
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タラゴナの考古遺跡群/スペイン
タラゴナはカタルーニャ州の州都バルセロナから西へ約100kmの位置にある位置。かつてはタッラコと呼ばれ、イベリア半島でも最初期のローマ人の入植地であり、ローマ時代はヒスパニア・タラコネンシス州の州都となった都市。
古代ローマ時代はスペイン最大の植民都市でした。遺跡のほとんどは都市の下に埋もれていますが、円形劇場や「悪魔の橋」とも呼ばれる水道橋など、ローマ時代の建築物が現在も見られます。
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ルーゴのローマ城壁/スペイン
スペイン北西部のガリシア州にあるルーゴは、紀元前1世紀に初代ローマ皇帝アウグストゥスの軍師長によって設立された都市でした。現在の都市を囲む城壁は3〜4世紀にかけて建造され、これはローマ時代の建築物で利用されていた花崗岩や粘板岩(ねんばんがん)を積み重ねて構成されたもの。
現在でも城壁がそのまま残っていて、西欧におけるローマ時代後期の要塞の優れた例でもあります。
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エヴォラ歴史地区/ポルトガル
首都リスボンから東へ約130kmの位置にある、アレンテージョ地方の中心都市。ここは共和制ローマ時代に建造され、2000年以上に渡って発展してきました。その後、ムーア人(イスラム教徒)によって作られた要塞跡やレコンキスタ時代に建造された教会・修道院など、中世当時の建築物が残っています。
ディアナ神殿は旧市街の中心部にあるローマ時代の神殿。ここは1世紀に初代ローマ皇帝のアウグストゥスを祀るために建造された、かつてのコリント様式の神殿跡。ローマ神話に登場する女神ディアナが祀られたという俗説から「ディアナ神殿」と呼ばれるようになりました。
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トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会/ドイツ
ルクセンブルクとの国境も近いラインラント=プファルツ州にあるトリーアは、モーゼル川の上流に位置し、かつてはローマの植民都市「アウグスタ・トレウェロールム」と呼ばれていました。やがて「第2のローマ」とされるほどに交易の中心地として繁栄。
町には「黒い門」という意味のポルタ・ニグラとローマ皇帝の宮殿跡であったアウラ・パラティナなどが残り、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂はローマ時代の聖堂を改修したもの。
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ローマ帝国の国境線/ドイツ・イギリス
イングランドとスコットランドとの国境近くに位置するハドリアヌスの長城。これは122年にローマ帝国・五賢帝の一人、ハドリアヌス帝によって、属州ブリタニアの最北端に築かれたもの。長城は東海岸のニューカッスル・アポン・タインから西海岸のカーライルまでの約118kmにも及び、壁の高さは4〜5mで、6kmの間隔で要塞が置かれました。そして、その北方にある60kmのアントニヌス・ピウスの長城も2005年に追加で登録。
ゲルマン民族の襲撃に備えて建造された、現在のドイツのライン川とドナウ川を結ぶ約500kmのリーメスも合わせて登録。これは約580kmにも渡って続くもので、83年にローマ皇帝ドミティアヌスによって建設が始まり、2世紀末まで改築されつつ維持されていました。現在は総距離の3割程度の遺構が残っていて、約900ヶ所もの物見櫓や60以上の城砦が確認されています。
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ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分)/ドイツ・オランダ
リーメスはラテン語で「国境」を示すもの。現在ではおもに長城を示すことが多い傾向にあります。現在のオランダ・ドイツにまたがる遺産となっていて、南はドイツ中部の都市ボン付近からライン川の左岸に沿って、北海沿岸までローマ帝国の国境線が約400kmも続いていました。
ここはローマ帝国の属州ゲルマニア・インフェリオルの領土だった場所で、北方のゲルマン人を牽制するために、要塞や塔、港、集落、宗教施設などが国境線沿いに点在していましたが、ほとんどが地下に埋没してしまっています。
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ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメス/ドイツ・オーストリア・スロヴァキア
ローマ帝国の北側の国境であるドナウ川沿いには、リーメス(長城)が建設され、見張り台や砦、軍駐屯地などが加わり、強化されていきました。もともとのリーメスは土の堤防だけ築かれたものでしたが、2世紀のトラヤヌス帝の時代になると石で囲まれるようになったのです。
防砦システムは約600kmに渡って築かれ、これらは小さな砦から入植地まで、当時のローマ帝国の辺境における独特の生活が見られるもの。
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バース市街/イギリス
イングランド南西部サマセット州にあるバースは、1世紀にここを支配していたローマ人によって温泉地が造られたことが起源。中心部には大浴場や神殿などが並び、温泉街として発展しました。
18世紀初頭のジョージ王朝時代には、新古典主義様式の美しい建築物とローマ式の浴場など、優雅な町並みが形成され、その保存状態は良好。
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ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所/ハンガリー
ローマ帝国時代、ハンガリーの大部分はパンノニアと呼ばれた属州となっていて、現在のハンガリー南部にあるペーチはソピアナエという名の都市でした。ここは軍事上の要衝の地であり、交易で栄え、これらの地下墓地は4世紀頃に建造されたもの。
地上には礼拝堂や霊廟、地下にはカタコンベという埋葬室が残っています。カタコンベは聖書をモチーフにした壁画で飾られていて、芸術価値が高いもの。
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ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群/クロアチア
クロアチア南部・アドリア海沿岸に広がるダルマチア地方の最大都市スプリト。この地は、3世紀後半から4世紀初頭にかけてローマ皇帝であったディオクレティアヌスによって隠居用の宮殿が築かれました。
その後、宮殿を解体して都市は築かれていき、ローマ時代の遺跡の上にゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな建築物が混在した独特の町並みを現在に残します。
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ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ/セルビア
ブルガリアの国境に近いザイェチャル市に残るガムジグラード。現在は小さな村ですが、郊外にはローマ皇帝ガレリウス(260〜311年)が3世紀後半から4世紀初頭にかけて彼の母ロムラのために建造された都市遺跡が残っています。
ここは彼の母ロムラのために建造された街で、都市名も彼女の名から「ロムリアーナ」と呼ばれていました。彼が引退後に過ごした宮殿跡を中心に要塞や教会、浴槽施設、寺院、記念碑などの遺構が残り、すべての床面がモザイクで装飾されているのが特徴。
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ブトリント/アルバニア
アルバニア南部のリゾート地・サランダから南へ約40kmにある遺跡。ここは地中海の歴史の縮図ともいうべき場所で、集落としての起源は紀元前5万年にも遡るというほど。
現在でも円形劇場や医療の神・アスクレピオスを祀る神殿、バシリカ式の聖堂など、各時代の遺構が見られます。
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ヒエラポリス-パムッカレ/トルコ
パムッカレは、トルコの南西部にあるデニズリ県の県都デニズリから北へ約15kmの位置にあるエリア。平原にある標高約200mの丘には、斜面から石灰を含んだ温泉水が流れており、これが堆積して段々状の棚を作り出しています。まるで綿が集まった城塞に見えることから、トルコ語で「綿の城(パムッカレ)」と呼ばれます。
パムッカレの丘の上には紀元前2世紀に築かれたヒエラポリスがあり、ここはローマ時代、温泉をテーマとした健康センターとして栄えた場所でした。
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エフェソス(エフェス)/トルコ
トルコの西部に位置するイズミル県セルチュク近郊のエフェソスは、紀元前7000年前から人々が住んでいた地。紀元前2世紀頃にアナトリア半島が共和制ローマの領土になると、ここはアジア属州の首府として栄えました。
遺跡には、ヘレニズム建築やローマ建築などが点在していて、保存状態の良い図書館や劇場など、当時の繁栄した姿を現在に残します。周囲には、世界七不思議の一つであるアルテミス神殿跡や聖母マリアが住んでいた家とされる礼拝堂などがあり、これらも含めて登録。
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アフロディシアス/トルコ
アフロディシアスは、トルコ南西部のメンデレス川によって形成された肥沃な渓谷に位置します。この地では紀元前3世紀からギリシャ神話の女神アフロディーナの信仰が始まり、神殿が築かれると、2世紀には都市が形成されました。
ここはローマ帝国と親密な関係があり、ローマの元老院から税の免除を受けるほど。神殿や劇場、広場などが残り、かつての繁栄が今でも見られるのが特徴。
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古代都市ボスラ/シリア
ボスラは首都ダマスカスから南へ約150kmの位置にあり、ヨルダンの国境沿いのダルアー県にあります。「ボスラ」という名は、紀元前14世紀の古代エジプトのテル・エル・アマルナ遺跡の石版にも記載されるほど古いもの。通商で栄えたナバテア王国の北の首都になった後は、1世紀にローマ帝国に編入し、アラビア属州の州都になりました。
現在でもローマ劇場や初期のキリスト教の遺跡などが残っていて、これらは黒い玄武石で作られているため、遺跡全体が黒く見えるのが特徴。
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バールベック/レバノン
首都ベイルートから東へ約80km。バールベックは、標高約1150mのベッカー高原の中央部に築かれ、数々の神殿が並ぶ、ローマ時代でも有名な聖域の一つ。ここは紀元前2000年から人々が住んでいたとされ、レバノンを中心に通商で栄えたフェニキア人の都市が築かれました。バールベックは「ベッカー高原の主神」という意味で、交易で栄えたものの、紀元前1世紀にローマ帝国によって征服されます。
ここはローマ時代に天空神ユピテル(ジュピター)などの神々が崇拝されていた聖域であり、巡礼者が多く集まる地でもありました。遺跡内には美しいローマ建築がいくつか残ります。
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レプティス・マグナの考古遺跡/リビア
リビア北西部、首都トリポリの東130kmに位置するアル=フムス市にある古代ローマの都市遺跡。もともとはレプティスという名前ではありましたが、町が繁栄したため「マグナ(偉大な)」が加えられました。
2世紀になるとローマ帝国の植民都市となり、皇帝セプティミウス・セウェルスを輩出するほどにアフリカ属州の中心都市になりました。7世紀にイスラム勢力によって支配されると、町は砂に埋もれてしまったため、現在も非常に保存状態が良いというのが特徴。
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サブラタの考古遺跡/リビア
サブラタはリビアの首都トリポリから西へ約65kmの地中海岸に位置する都市。ここは紀元前6世紀ころに地中海の交易で富を築いたフェニキア人によって設立された港湾都市でこの地方の中心的存在でした。
紀元前1世紀になるとローマ帝国の属州となり、現在の遺跡は2世紀のトラヤヌス帝時代以降に再建されたもの。遺跡に残る円形劇場はアフリカでも最大規模で、レリーフの保存状態も良好です。
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エルジェムの円形闘技場/チュニジア
チュニジア東岸・マーディア県にあるエル・ジェムは、ローマ時代は地中海交易で栄えたカルタゴに次ぐ「ローマの穀倉地帯」と呼ばれるほどに豊かな地でした。
街には最大3万5000人が収容できるという円形闘技場があることで有名。これは世界でも3番目の規模を誇るもので、ベルベル人の要塞だった時期もありますが、保存状態も良好です。そして、ローマのコロッセウム以外では唯一の3層部分を残すというのが特徴。
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ドゥッガ/トゥッガ/チュニジア
ドゥッガ/トゥッガは、チュニジア北西部にある標高571mの丘の上にあり、紀元前2世紀ころにヌミディア人によって築かれた都市。ヌミディア人はヌミディア王国(紀元前202〜46年)を築いたベルベル系の民族。
その後ローマ帝国に編入されたことで、植民都市時代の遺構が今も残ります。現在もベルベル系のヌミディア人の霊廟なども残っているという点もユニーク。
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ジェミラ/アルジェリア
ジェミラは、アルジェリア北東の大都市セティフから、さらに北東へ約50kmの位置にあるローマ時代の遺跡。ここはかつてクイクルムと呼ばれ、紀元1世紀にヌミディア地方に築かれた植民都市です。
クイクルムは城砦から発展したローマの植民都市でしたが、6世紀以降は放棄されたため、南北を貫くカルドには神殿や凱旋門など保存状態の良い建築物が残っています。
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ティムガッド/アルジェリア
首都アルジェから南東へ約480km、オーレス山の北側に広がる高原に位置するのがティムガッド。「アフリカのポンペイ」と呼ばれるほどに保存状態がよく、碁盤目状の区画に、東西南北に貫く基幹道路という典型的なローマの都市計画によって造られた都市でした。
2世紀に建造された「トラヤヌスの凱旋門」は高さ13mで、ティムガッドのシンボル的存在。
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ヴォルビリスの考古遺跡/モロッコ
ヴォルビリスは、モロッコの首都ラバトと古都であるフェスの間に位置する考古遺跡。ここは肥沃な土地で、古くから集落があったものの、ローマ帝国がこの地を支配し、ローマ属州マウレタニア・ティンギタナとなると、小麦やオリーブなどが生産される農業都市へと変貌しました。
遺跡には、カラカラ帝の凱旋門など、壮麗なローマ建築が今でも残っています。その後、イスラム王朝の首都となった時期もありますが、18世紀のリスボン大地震で被害を受け、19世紀から発掘と修復が行われてきました。
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世界遺産マニアの結論と感想
古代ローマにか関連する古代遺跡は、地中海沿岸の国々に点在していて、その数はあまりにも膨大!これだけ見ると、イタリア中部の小さな国家だったローマがどれだけ繁栄したかがよく分かるでしょう。その建築技術の高さも含めて、ローマという国の偉大さがよく分かります。ぜひディープに楽しんでくださいね!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。