イタリアといえば、世界一の世界遺産保有国であり、その数はなんと60件!ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア…これらは誰もが知る観光地はもちろん世界遺産ですが、それ以外はどんな世界遺産があるのでしょうか?
ここでは、イタリアの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
ヴァルカモニカの岩絵群/1979年登録
ヴァルカモニカは、イタリア北部のロンバルディア州に位置する約70kmの渓谷。オーリオ川沿いには14万を超える岩絵が並び、中には紀元前8000年頃の石器時代のものもあり、世界でも最大規模の岩絵が並ぶというのが特徴。
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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂/1980年(1990年拡大)
イタリアの首都ローマには、ローマ帝国最盛期の遺構が多く残っています。紀元前3世紀に築かれたアウレレリアヌスの城壁に囲まれた地域が世界遺産として登録されていて、1990年にそれより西側に広がるウルバヌス8世の城壁まで範囲が拡大しました。
約2600年の歴史を誇るローマは、ヨーロッパの歴史の中で重要な役割を果たしていて、各時代の建築物の発展が分かる遺構が今でも大事にされています。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院/1980年登録
イタリア北部の中心都市ミラノの中心部にある、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、15世紀にドミニコ会の修道院として建設されたもの。
食堂の壁には1495〜1497年にかけて、ルネサンスの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『最後の晩餐』があります。これは美術史において革命を起こした傑作。
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フィレンツェ歴史地区/1982年登録
フィレンツェは、トスカーナ州の州都で、ここは古代ローマ時代から人々が住み始めた都市。銀行業で栄えたメディチ家は芸術家の庇護者でもあり、市内に残るサンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂やウフィツィ美術館、ヴェッキオ宮などは彼らの支援により建造されたもの。
この街で確立したルネサンスはやがてヨーロッパにおける美術や建築において大きな影響を与えることになりました。
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ヴェネツィアとその潟/1987年登録
ヴェネト州の州都ヴェネツィアは、潟(ラグーン)に浮かぶ118の島で構成される海上都市。ヴェネツィアの街は小さな島々から構成されていて、中心部には全長約3kmにもおよぶ「カナル・グランデ(大運河)」が通り、400の橋と150を越える大小の運河でそれぞれの島を結んでいます。
10世紀になると海上交易で栄え、やがて「アドリア海の女王」と呼ばれように。運河や橋で構成されたユニークな都市構造は、街全体が芸術作品のよう。
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ピサのドゥオモ広場/1987年登録
トスカーナ州西部にあるピサは、かつて地中海沿岸の海運国家として繁栄した都市。街の外れにあるピサの斜塔(鐘楼)は世界的に知られています。なんといってもこの塔を有名にしているのは、その「傾き」。
斜塔の周りにある大聖堂(ドゥオモ)や洗礼堂、墓所(カンポサント)は11〜14世紀にかけてイタリアの建築物に大きな影響を与えました。
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サン・ジミニャーノ歴史地区/1990年登録
サン・ジミニャーノは、イタリア中部のトスカーナ州の州都フィレンツェから南に約60kmに位置する都市で、標高324mの丘の上に築かれています。かつては巡礼者の経由地として繁栄した都市で、やがて通商の中心として発展しました。
ここは「塔の町」として知られ、塔が林立するユニークな町並みが広がります。町にはかつて富と権力の象徴として72もの塔が建造されましたが、現在は14基だけ残存。
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マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園/1993年登録
イタリア南部のバジリカータ州にあるグラヴィナ渓谷では、人々が洞窟を利用して住宅を作り、この地に住み着きました。現在のマテーラの旧市街では、サッシ(洞窟住居)や教会、修道院など並んでいて、世界でもユニークな風景を眺めることができます。
街は旧石器時代に遡るほどに古い歴史を持ち、洞窟を利用した住居は人類の歴史における重要な段階を示しています。
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ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ/1994年登録
ヴェネト州にあるヴィツェンツァは、紀元前2世紀に設立され、ここは15世紀初頭から18世紀末にかけて近隣のヴェネツィアの支配下で大いに繁栄した都市。ここはルネサンス後期に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオによって中世の建造物に新しいデザインを取り入れたルネサンス都市へと変化していきました。
彼が確立した「パッラーディオ様式」は、古代ローマの建築をモデルにしてドームや柱廊など世俗の建造物に取り入れたもので、その後のヨーロッパと北アメリカの建造物にも広がっていきました。
フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯/1995年登録
フェラーラは、イタリア北部に置するエミリア=ロマーニャ州のフェラーラ県の県都。イタリア北部を横断するポー川のデルタ地帯に設立され、古来から栄えた都市でもあります。
フェラーラ公となったエステ家が支配するようになると、15世紀にエルコレ1世が建築家ビアージョ・ロセッティに新市街の設計を依頼し、「人文主義」をコンセプトにしたルネサンスの理想都市へと変化しました。
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ナポリ歴史地区/1995年登録
ナポリは、イタリア南部のカンパニア州の州都。ここは古代から地中海での交易で栄えた都市で、ヨーロッパでも最も古い都市の一つでもあります。
紀元前5世紀にギリシャの植民都市ネアポリスから現在までさまざまな国によって支配され、それぞれの時代の文化が今でも町に色濃く残っています。
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シエーナ歴史地区/1995年登録
イタリアの古都であるシエーナはトスカーナ州中部の丘の上にあります。近くにあるフィレンツェと争いながら、12〜15世紀に栄えた都市国家には、ゴシック様式の壮麗な建設物が多く造られました。
現在も当時の雰囲気を残すカンポ広場は「世界で最も美しい広場」と讃えられるほど。シエナは芸術や建築、都市計画などの点でイタリアやヨーロッパ各地で建造された都市に大きな影響を与えてきました。
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クレスピ・ダッダ/1995年登録
クレスピ・ダッダは、イタリア北西部のロンバルディア州ベルガモ県にある都市で、ここはアルプスから流れるアッダ川沿いに位置し、紡績・織物工場を経営する資本家クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピによって19世紀後半に築かれました。
街の建造物は幾何学的に配置。道路の西側には工場が、東側は労働者が住む邸宅や学校、聖堂が並んでいて、南側はクレスピ家の城や管理者の家が置かれています。
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ラヴェンナの初期キリスト教建築物群/1996年登録
イタリア北東部エミリア=ロマーニャ州にあるラヴェンナは、ローマ帝国が分裂した後、5世紀に皇帝ホノリウスによって当時の首都であったメディオラーヌム(ミラノ)から遷都し、首都となった都市。
ここには5〜6世紀に建造された初期キリスト教の聖堂や礼拝堂、霊廟などが残っていて、これらはオリエントとヨーロッパの様式の融合が見られるもの。その中でも傑作とされるサン・ヴィターレ聖堂には美しいモザイク画が残っています。
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ピエンツァ市街の歴史地区/1996年登録
トスカーナ州のシエナから南東へ約53km。周囲に田園が広がる丘の上に位置するピエンツァは中世から存在する街でしたが、この地の出身でローマ教皇となったピウス2世によって15世紀にルネサンス都市として再設計されました。
ピウス2世は建築家ベルナルド・ロッセリーノに理想の街作りを依頼し、現在も見られる格子状の区画は各地の建築様式に影響を与えました。
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カステル・デル・モンテ/1996年登録
プッリャ州のアンドリア郊外にあるカステル・デル・モンテは、1240年に学問と芸術を好んだ神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世によって建設された城。天文学や数学などを駆使して、八角形にされており、城は教養が高かったフリードリヒ2世の数学への深い関心が見られます。
城は当時としてはユニークなデザインで、八角形の構造になっており、それぞれの角にはまた八角形の塔が設けられています。実は黄金比を用いられて建設されているという点で、ルネサンスを先取りしたもの。
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アルベロベッロのトゥルッリ/1996年登録
アルベロベッロは、南イタリアにあるプーリア州にある小さな町。ここには先史時代から石灰岩を使用した住居、トゥルッリ(トゥルッロの集合体)が多く並ぶ街。
トゥルッリが多いエリアは2つあり、合計で1500軒以上のトゥルッリが残っています。トゥルッリは、さまざまな使用用途があり、シェルターや倉庫に使われることもあれば、小さな土地の領主や農民の住居としても利用されていました。
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パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)/1997年登録
パドヴァは、イタリア北東部、ヴェネト州の内陸にある都市で、ヴェネツィアから西へ約30kmの位置にあります。パドヴァ大学は1222年に創立した大学で、世界でも2番目に古く、医学や自然科学の分野で知られ、ガリレオやダンテなどが教授として努めたことがあるほどに名門。
ここには建設当初から存在する植物園としては世界最古である「パドヴァ植物園」が1545年に築かれ、イタリアで初めてじゃがいもやヒマワリなど植えられたことでも有名。
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モデナの大聖堂、市民の塔、グランデ広場/1997年登録
イタリア北部のエミリア=ロマーニャ州にあるモデナは、街の歴史としては紀元前2世紀に遡るほどで、12世紀に自由都市となりました。中心部にあるグランデ広場の周囲にはモデナの大聖堂、市民の塔、市庁舎など並んでいます。
高さ86.12mの市民の塔は、青銅製の花冠(ギルランダ)があることから「ギルランディナーナ」とも呼ばれています。
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カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョの邸宅群/1997年登録
カゼルタはカンパニア州の州都ナポリから北東へ約27kmの位置にあり、1752年にスペイン・ブルボン家の王子だったナポリ王カルロ7世が建造した宮殿と庭園があります。
他にも庭園内の噴水に水を引くために建造された「ヴァンヴィテッリの水道橋」、カルロ7世の息子であるフェルディナンド4世によって絹産業を発展されるために設立した「サン・レウチョの邸宅群」も世界遺産に登録。
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ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域/1997年登録
イタリア南部のカンパニア州のナポリ県にある3つの遺跡が世界遺産に登録。ポンペイとヘルクラネウムはヴェスヴィオ山の噴火による火山灰で埋没した都市遺跡で、当時の街の様子がそのまま残され、非常に状態が良いもの。
トッレ・アンヌンツィアータのヴィッラ(別荘)はローマ帝国時代の富裕層の暮らしなどが今でも分かるという点で貴重です。
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アマルフィ海岸/1997年登録
イタリア南部のカンパニア州サレルノ県にあるソレント半島の南東側に広がる海岸が、「世界一美しい海岸」と呼ばれるアマルフィ海岸。ここは波による侵食によって形成された地形で、断崖が広がるエリアです。
ここは人々が中世からぶどう畑や牧草地などを開発しつつ暮らし、海岸沿いには段々状に家が並ぶアマルフィやラヴェッロなどの美しい都市が点在します。
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スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ/1997年登録
地中海に浮かぶサルデーニャ島には、ヌラーゲ(サルデーニャ語で「ヌラージ」)と呼ばれる石で積まれた要塞が7000も点在し、これは島特有のもの。ヌラーゲは、円筒や円錐状のような形状になっていて、当初はその場所に住む一族によって建造され、後に階層社会になると要塞となったとされています。
内陸のバルーミニ村にある「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ」は最大規模のもので、島のシンボル的存在。
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アグリジェントの遺跡地域/1997年登録
シチリア島南西部のアグリジェント県に位置する神殿の谷。ここは「谷」と呼ばれますが、ドーリア式の神殿だけではなく、ネクロポリスも残る広大な遺跡です。かつて「アクラガス」と呼ばれた、ギリシャの植民都市でもありました。
中でもドーリア式のコンコルディア神殿はキリスト教の聖堂に利用されたりと、初期キリスト教の埋葬施設も残っているのも特徴です。
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ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ/1997年登録
シチリア島中央部にあるエンナ県は丘陵地帯となっていて、ここはローマ帝国時代は貴族による農園(ラティフンディア)があったとされています。この地には貴族たちによってヴィッラ(別荘)が多く建造され、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレはその中でも保存状態が良いもの。
40以上の部屋と床には豪華なモザイク装飾が置かれ、特に馬車や猛獣狩り、ビキニの姿の女性まで世俗的なものをモチーフにしたモザイクがユニーク。
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ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)/1997年登録
イタリア北西部、西のレヴァントから東のラ・スペーツィアの間のリグーリア海岸沿いに沿って約15kmに渡って広がるエリアが登録されています。ここは断崖絶壁に沿ってブドウやオリーブ畑が何世紀にも渡って階段状に築かれていき、19世紀末に鉄道が敷かれるまで、開発がほとんどされてきませんでした。
ここは1000年に渡って人々が自然と向き合って生きてきた風景が見られることから、文化的景観として登録。
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アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ/1998年登録
アドリア海の北岸に位置するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州に位置するアクイレイア。ここは現在は小さな町ですが、紀元前181年の共和制ローマ時代に都市が設立されると、地中海と中央ヨーロッパを結ぶ交易の中心となり、「第2のローマ」として繁栄しました。
しかし、5世紀に破壊。その後もこの地には総大司教座が置かれ、バシリカ式聖堂に残る4世紀のモザイクには、ラパルム(XとPを組み合わせたデザイン)も確認でき、中央ヨーロッパの布教において重要な役割を果たしたことを示しています。
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パエストゥムとヴェーリアの考古遺跡群やパドゥーラのカルトゥジオ修道院を含むチレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園/1998年登録
ヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園は、イタリアの南部にあるカンバニア州サレルノ県内にある広大な公園。ここは山岳地帯となっていて、海岸沿いは断崖が広がる険しいエリアでもあります。
ここにはギリシャの植民都市であったパエストゥムやヴェーリア、そして、パドゥーラにあるサン・ロレンツォ修道院などがあり、それぞれが世界遺産に登録されています。
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ウルビーノ歴史地区/1998年登録
イタリア北東部にあるマルケ州。ウルビーノはマルケ州の北西部にある小さな町。ここは15世紀にモンテフェルトロ家によって芸術家や科学者が多く集められたルネサンス都市で、ドゥカーレ宮殿などはヨーロッパの文化発展に大きく影響を与えました。
現在のドゥカーレ宮殿は国立マルケ美術館となっていて、ここにはラファエロの作品なども置かれています。
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ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)/1999年登録
首都ローマから東へ約30kmに位置するティヴォリは、古代ローマから貴族たちのリゾート地として知られ、別荘などが建設された地でありました。ローマ帝国最盛期の皇帝で、五賢帝の一人であったハドリアヌスは、118年からこの地に広大な別荘を作り始め、完成したのは133年。
領土内に多くの建造物を作り出したハドリアヌスが手掛けただけあって、別荘はエジプト、ギリシャ、ローマのさまざまな建築技術が詰まった「理想郷」のような豪華絢爛な邸宅でした。
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ヴェローナ市街/2000年登録
イタリア北部にあるヴェローナは、アルプス山脈の麓にある町。ここは先史時代から人が住んでいたとされ、紀元前1世紀になるとムニキピウム(自治都市)となり、重要な都市となりました。
13〜14世紀にスカーラ家が支配するようになると町は大いに繁栄しました。しかし、15〜18世紀にはヴェネツィア共和国の一部になり衰退。中心部には古代から中世、ルネッサンスなど、それぞれの時代の歴史的建造物が今でも多く残っています。
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アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群/2000年登録
イタリアの中央部・ウンブリア州にあるアッシジは、人口2万人くらいの小さな町ではありますが、フランシスコ会の創立者であるフランチェスコの出身地で、巡礼地として今でも多くの人々が訪れます。
丘の上にあるサン・フランチェスコ聖堂はゴシック様式の傑作で、チマブーエ、ジョット、マルティーニなどの芸術家のフレスコが描かれています。
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エオリア諸島/2000年登録
シチリア島北部とティレニア海に位置するエオリア諸島は、7つの主要な火山島で構成される島々。ここは260万年間も火山活動により7つの島が形成され、現在でも火山活動が繰り返し発生しています。よって、火山島の形成から活動まで、格好の研究対象となっているのが特徴。
ここは「ブルカノ式噴火」や「ストロンボリ式噴火」といった火山噴火様式のルーツとなった島があり、200年以上に渡って火山の研究対象となっているという点で評価。
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ティヴォリのエステ家別荘/2001年登録
イタリア中部・ラツィオ州にあるティヴォリ。この地に残るエステ家の別荘と庭園は、北イタリアの名門貴族のエステ家出身で、ローマ・カトリックの枢機卿であったイッポーリト・デステによって16世紀に建造されたもの。
ここはもともと存在していたベネディクト会の修道院を改装したもので、ルネサンス様式庭園の代表であり、ヨーロッパの造園様式に多くの影響を与えました。
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ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)/2002年登録
ヴァル・ディ・ノートとは、シチリアの古い行政区分のヴァッロの一つを示すもので、ここには多くの街がありますが、1693年の大地震によって多くの建物が崩壊します。それから数十年に渡って再建され、後期バロック様式で統一された町並みが作られました。
特にノートの旧市街は美しく、石灰岩で建造されたに「ノート大聖堂(サン・ニコロ大聖堂)」はシチリアのバロック建築でも最大傑作でもあります。
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ピエモンテ州とロンバルディア州のサクリ・モンティ/2003年登録
サクリ・モンティとはイタリア語で「聖山」という意味で、北イタリアには、ピエモンテ州に7ヶ所、ロンバルディア州に2ヶ所あり、それぞれ16世紀後半から17世紀にかけて山の上に建造され、聖堂や礼拝堂などで構成される聖域です。
ここは周囲の森や湖などの自然環境を背景に聖堂や礼拝堂などの建造物が調和したもの。イスラム勢力によって巡礼が難しかった聖地イスラエルの代替施設であるというのが特徴です。
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ヴァル・ドルチャ/2004年登録
ヴァル・ドルチャ(ドルチャ渓谷)は、イタリア中部のトスカーナ州とウンブリア州との州境に広がる広大な渓谷で、小高い丘と平原が広がるという地形。渓谷には古代から人々が住んでいてローマ帝国時代に発展したものの、中世には農業と牧畜が衰退してしまい、ここはバチカンに向かう巡礼路として利用されていました。
ここは円錐形の丘の荒れ地が緑の農地に変えられ、街道沿いに糸杉が植えられていき、人間による開発が自然の美しさを高められた景観。これらの田園風景は多くのルネサンスの芸術家に影響を与えていきました。
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チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群/2004年登録
エトルリア人は紀元前9世紀〜紀元前1世紀にイタリア半島に暮らしていた先住民族で、やがて古代ローマ人と同化するものの、地中海北部で都市文明を築き、ローマ人によってエトルリア人の文化は継承されていきました。
特にチェルヴェーテリの近くにあるバンデタッチャのネクロポリスは、まるで都市のように円形や家屋のような形をした墳墓が見られ、タルクイーニア近郊のモンテロッツィ地区には6000もの墳墓が並び、200もの彩色された墳墓も残存。
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シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡/2005年登録
シチリア島の南東部には、丘の上に築かれたネクロポリスであるパンターリカと、海岸にある古代ギリシャの都市シラクサがあり、これらの2つのエリアは3000年に渡って繁栄した地中海文化の歴史を示すもの。
海岸に位置するシラクサは、現代でもギリシャ時代の神殿や劇場、古代ローマ時代の円形劇場が残り、かつてギリシャの政治家キケロが「あらゆるギリシャ都市の中でも最も美しい」と称えたほどの都市でした。
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ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度/2006年登録
リグーリア州の州都であるジェノヴァは、かつては海洋国家であったジェノヴァ共和国(1005〜1797年、1814・1815年)として栄え、イタリアにおける金融都市でもありました。
16世紀後半から17世紀初頭の黄金期になると、ストラーデ・ヌオーヴェ(新しい通り)沿いにはルネサンス様式やバロック様式の美しい大邸宅(パラッツォ)が並ぶようになりました。これらは「ロッリ」と呼ばれる、身分の高い人々を迎えるための迎賓館の目録に登録されていることから、この登録名となっています。
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カルパティア山脈のブナ原生林(ほかヨーロッパ17ヶ国と共同)/2007年登録
ヨーロッパブナは、北はスウェーデン南部から南は地中海岸、西はポルトガル、東はトルコまで広がっていて、氷河期後期には、ヨーロッパの約40%はヨーロッパブナ(ファグス・シルヴァティカ)の林が広がっていました。登録エリア各地にはブナの原生林が広がっていて、ヨーロッパブナの原生林としては世界最大の規模を誇ります。
イタリアとしての登録範囲は、国内に点在していて8つの森林地帯が登録されています。
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マントヴァとサッビオネータ/2008年登録
イタリア北部に位置するマントヴァとサッビオネータは、ルネサンス期に栄えたゴンザーガ家によって築かれた理想都市。
ゴンザーガ家の本拠地であるマントヴァのドゥカーレ宮殿には、今でも多くの美術品が残っていることで有名です。街の中心部のエルベ広場に面した、サン・ロレンツォ円形聖堂(ロトンダ)はロマネスク様式の建造物で、その歴史は11世紀に遡るというほどに古いもの。
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レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観(スイスと共同)/2008年登録
アルブラ線・ベルニナ線は、スイス南西部のグラウビュンデン州からイタリア北西部のロンバルディア州ソンドリオ県を結ぶ路線。ここはアルプスの高地を越えるために当時としては最高レベルの技術によって建造され、20世紀初頭に開業したアルプス越えの鉄道が今でも現役で使用されています。
これらは古くからの課題だったアルプス越えを実現したもので、卓越した土木技術の結晶でもありました。イタリアで登録されているのはベルニナ線の一部。
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ドロミーティ/2009年登録
イタリア北東部に広がるドロミーティは、東アルプス山脈の一部で、18の峰を含む9つの山岳地帯で構成されています。ここは標高3000mを超えるマルモラーダなどの名峰も含まれていて、急峻な岩山が多く広がるエリア。
ここは中生代の地層が残り、化石の産地ともなっています。そして、ドロマイト(苦灰石)が発見された場所としても有名。
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サン・ジョルジョ山(スイスと共同)/2010年登録
ルガーノ湖はイタリアとスイスの国境に位置する面積48.7平方kmもの湖。その南にはピラミッドのような形をした緑豊かなサン・ジョルジョ山(標高1097m)がそびえます。
ここは、中生代三畳紀(2億4500万〜2億3000年前)の地層からさまざまな生物の化石が発見され、体長1mものパキプレウロサウルスや、身体が3分の2以上もの首だったとされる珍しい魚竜タニストロフェウスといった希少な化石も発掘されています。
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アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群(スイス・ドイツ・フランス・オーストリア・スロベニアと共同)/2011年登録
ヨーロッパのアルプス山脈周辺の6ヶ国には、紀元前5000〜500年の先史時代に湖や河川、湿地帯に杭上住居跡が111箇所も残り、これらは水没していたために保存状態が非常に良好。新石器時代から青銅器時代の人々の生活が見られる遺跡となっています。
イタリアでは、アルプス山脈沿いに19箇所が登録されています。
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イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)/2011年登録
ロングバルド族は、北ヨーロッパをルーツに持つゲルマン人の一派で5世紀の民族大移動の時代に南下し、イタリア半島の混乱に乗じてロンゴバルド王国(568〜774年)を築きました。
世界遺産としては、その時代に築かれた要塞や教会、修道院など、合計で7ヶ所が登録されています。これらはローマの伝統にキリスト教の精神性が加えられ、中世ヨーロッパの始まりと、西欧におけるキリスト教の確立を示すもの。
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エトナ山/2013年登録
エトナ山はシチリア島の東海岸に位置する標高3326mの活火山。ここはアルプス山脈以外においてはイタリアの最高峰であり、地中海の島の中でも最高峰でもあります。
山は頻繁に噴火を繰り返し、約2700年前にも噴火の記録があることから長年に渡って火山学、地球物理学、地球科学においても影響を与え続けています。
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トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群/2013年登録
イタリア北部にあるトスカーナ州は、かつてはフィレンツェを中心に繁栄したトスカーナ大公国の領土でした。15〜17世紀にかけて公国の各地には、トスカーナ大公国の君主となったメディチ家によって12の邸宅と2つの庭園が建設されました。
これらは当時の軍事的な貴族の城館とは異なり、自然環境の中に調和する革新的な建築と庭園があり、イタリアやヨーロッパの各地の別荘のモデルともなりました。
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ピエモンテのブドウ畑の景観:ランゲ=ロエーロとモンフェッラート/2014年登録
ピエモンテ州南部、北はポー川、南はリグリア・アルプスの間に位置するエリアで、何世紀にも渡ってブドウ栽培とワイン製造に関する技術、ワインにまつわる経済などの発展の経緯が見られます。
州の南部にある5つのワインの産地と、ワインの新しい技術を導入する一方、イタリア統一を果たしたカブール伯爵の住居だったグリンツァーネ・カヴール城が世界遺産に登録されています。
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パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群およびチェファル大聖堂、モンレアーレ大聖堂/2015年登録
シチリア自治州の州都であるパレルモは、歴史は古いものの、ギリシャ人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人…とさまざまな民族によって支配された街。その中でも、ノルマン朝シチリア王国時代に建造された9つの建造物が世界遺産に登録されています。
代表的なモントアーレ大聖堂を含めて、これらは西ヨーロッパとイスラム、ビザンツ帝国の文化が合わさるという「シンクレティズム」を示すシチリアらしい建造物。
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16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール(クロアチア・モンテネグロと共同)/2017年登録
現在のヴェネツィアを本拠地とした海洋国家であったヴェネツィア共和国。イタリアだけでなく、地中海各地に領土を持っていましたが、世界遺産としては、現在のイタリア、クロアチア、モンテネグロ各地の防衛施設が登録されています。これらはヴェネツィア共和国の権力と拡大を示すもの。
イタリア本土で登録されているのは、スタート・ダ・テッラ。西からロンバルディア州の「ベルガモの要塞都市」、ヴェネト州の「ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市」、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の「パルマノーヴァの都市要塞」が登録。
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20世紀の産業都市イヴレーア/2018年登録
イヴレーアは、イタリア北西部のピエモンテ州に位置する産業都市。1908年にカミッロ・オリベッティによって設立されたオリベッティ社の本社があることで知られます。
街の南側には本社工場とともに社宅や行政施設などが集まり、これらは1930〜1960年代にかけてオリベッティ社と建築家と協力して行われた文化・政治・労働を含めた「コミュニティ運動」の思想が見られるもの。
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コネリアーノとヴァルドッビアーデネのプロセッコ栽培丘陵群/2019年登録
イタリア北部にあるヴェネト州のコネリアーノとヴァルドッビアーデネという2つの都市は、プロセッコと呼ばれるブドウの品種と、それを使用した同名の発泡性のワインで有名。ここはプロセッコを栽培するための技術やワイン製造の景観が見られます。
コネリアーノとヴァルドッビアーデネは同名のプロセッコのブドウ種の産地。ここは「ホッグバック」と呼ばれる丘に「チリオーニ」という狭い草だらけの段丘に広がる区画で栽培されるブドウ畑が広がるのが特徴。
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パドウァ・ウルブス・ピクタ:ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂とパドヴァの14世紀フレスコ画作品群/2021年登録
パドヴァはヴェネト州の中央部に位置し、ヴェネツィアから西へ約40kmの距離にある都市。
14世紀に8つのキリスト教関連の建築物に描かれたフレスコ画は、壁画の歴史において革命をもたらしました。特にルネサンスの先駆け的存在であるジョットによるスクロヴェーニ礼拝堂は西洋美術史における傑作でもあります。
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ボローニャのポルチコ群/2021年登録
ボローニャは、エミリア=ロマーニャ州の州都で、その歴史は古代ローマまで遡るもの。特に11世紀にはヨーロッパ初の大学が建造され、当時のイタリアにおいて有数の経済都市でした。
ここでは中世になると「ポルチコ」と呼ばれる、屋根付きで柱廊が並ぶアーケードが街中に建造されました。なんと合計で62kmにも及ぶといい、雨風を防ぐという独特の構造はここで商売をする人々にとっては最適で、ボローニャ名物となっています。
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ヨーロッパの大温泉保養都市群(ドイツ・オーストリア・ベルギー・フランス・イギリス・チェコと共同)/2021年登録
ヨーロッパ各地には無数の温泉地がありますが、7カ国11箇所の温泉地が世界遺産に選ばれています。これらは1700年頃から1930年代に繁栄した国際リゾート地で、この頃のヨーロッパの温泉街の中でも特に発展した都市。
イタリアで登録されているのは「モンテカティーニ・テルメ」。トスカーナ地方に位置し、18世紀後半にトスカーナ大公レオポルド1世によって温泉の建設が命じられ、著名人が多く訪れたことで有名。
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アペニン山脈北部の蒸発岩カルストと洞窟群/2023年
アペニン山脈はイタリア半島を縦貫する山脈で総延長は1200km。北部に位置するエミリア=ロマーニャ州では「蒸発岩」という、塩分を含んだ水が干上がり、水中に溶けた物質が固体化して形成されたカルスト地形が見られる地。
セッキア渓谷では、恐竜が住んでいた中生代から残る硬石膏が見られ、洞窟はさまざまな時代に形成された跡も残り、世界でもよく研究対象にされているエリアでもあります。
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アッピア街道(街道の女王)/2024年
アッピア街道は、古代ローマ人にとって「街道の女王」と呼ばれるほどに偉大なる道路でもあります。ここは紀元前312年に首都であったローマ市の中心フォロ・ロマーノからイタリア中部のカープア(古代都市)までを結ぶと、領土が拡大していくうちに延伸し、やがて紀元前264年にはギリシャ方面へと結ぶ主要港であった、イタリア南東部のブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで、合計で約540kmにもなりました。
ローマ人はおもに玄武岩を敷き詰めて街道を舗装し、安定性と排水性を高めていて、あらゆる気象条件でも移動できるというのが特徴。
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世界遺産マニアの結論と感想
イタリアの世界遺産は文化遺産が54件、自然遺産が6件と盛りだくさん!さすがローマ帝国の発祥の地だけあって、文化遺産の多さも世界一です。ローマ遺跡やルネサンス都市だけでなく、修道院や産業遺産、ワイン畑まで、ありとあらゆるものが世界遺産に登録されているので、ぜひディープに楽しんでみてくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。